odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 1」(光文社古典新訳文庫)第1部第3編「女好きな男ども」 のちの殺人事件の推理の手がかりが書かれている。

2024/10/03 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 1」(光文社古典新訳文庫)第1部第1・2編 女好き・神がかり・金儲けの一家が初めて揃う 1880年の続き

 

 再読して驚愕するのは、後の怒涛の展開ですっかり忘れてしまった第1部にとても重要な情報がびっしりと書き込まれていること。ここに書き留めたことくらいは後で参照できるようにしておかないと、この先で読み落とすことがたくさんありそう。

第3編「女好きな男ども」 ・・・ この章ではドミートリーとスメルジャコフのことが詳しく語られる。その前に、豪壮なフョードルの家に住んでいるのはイワンと使用人のグレーゴリー、妻マルファ、孤児?スメルジャコフの5人で、フョードルは夜母屋に一人きりで過ごし、グルーシェニカのために3000ルーブリの大金が用意されている(イワンを領地のチェルマシニャーに行かせて数日の留守の間にグルーシェニカを連れ込もうと画策していた。このことを知っているのはドミートリーとスメルジャコフの二人だけ)。
 さてアリョーシャはカテリーナの家に行くとドミートリーが待っていた。用事を請け負ってほしいという。すなわち、将官時代の上司である中佐は公金横領をしていてドミートリーは知っていた。あるときバレてすぐに返済する必要になったが素寒貧。そこでドミートリーは父から取り戻した金を中佐の娘カテリーナに融通した。中佐の家にはなんやかんやあって、金ができたのでカテリーナが返済に来て、ドミートリーに結婚を申しこんだ。でもドミートリーは自分の行為がカテリーナを侮辱する目的だったので、どうにも落ち着かない。そのことをイワンに手紙を書いたら、イワンがカテリーナに惚れてしまった。前の章でフョードルがけしかけたのにつられて高飛車でよくない噂のあるグルーシェニカに惚れてしまう。彼女にいたぶられることで寝取られ男の屈辱を味わいたいのだ。そのグルーシェニカからドミートリーは3000ルーブリを預かっていたが、数日で全部飲んで騒いで使い果たしてしまった。ところがグルーシェニカは3000ルーブリが必要になり、返済を迫れれているが、当然ドミートリーの手元に金はない。というわけで父フョードルに借金を申し込むのであるが、父が拒否するのは目に見えている。というわけで、ドミートリーは焦燥し、憔悴し、空元気を出し、落ち込むのである。自分からは誰にも会いに行けないので、アリョーシャに代わりに行ってほしいのだ。
 ドミートリーは「明日雲の上から飛び降りる」「おれの人生にひと区切りがつき、そこでまた始まる」「(過去の放蕩三昧で)恥辱にまみれている」「大地と永遠の契りを結ぶ。でも大地に口づけなんかしない」とアリョーシャにくどく。前半はラスコーリニコフ罪と罰の「あれ」「醜悪な計画」を考えているころに似ている。ただこの激情家は物事を計画的に進めるには向いていない。そのときどきの感情で破滅的なことをやりたがる。そして後で後悔して嘆くことを繰り返す。自制心のなさはラスコーリニコフとは大違い。それにこの時点ですでに自分が恥辱にまみれていると思っている(ラスコーリニコフは恥辱にまみれることを恐怖した)。低い自己評価にあり、社会に復讐しようという気持ちにはなっていない。放蕩三昧の生活は学生時代のスタヴローギンに似ているが、スタヴローギンのように周囲にグループを作れたわけではない。ここに来るのも一人きりで、社会から孤立している。
(少しくどく情報を書いたが、以上の情報はこのあとの殺人事件にかかわるので、よく覚えておこう。「チェルマシニャー」の地名はたぶんメモしないと忘れてしまう。これだけの情報はドミートリーの独演で明かされる。20世紀以降の文学ではすたれた手法。ドスト氏並みの文体を持たないと、この数十ページを緊張感を持って読むことはできない。)
 フョードルの家で夕食。人づきあいが悪く無口で傲慢なスメルジャコフが口をはさむ。異教徒に改宗を迫られて応じても罪にはならない。というのは信仰をもつものが山に向かって動けと言っても動くことはないから、不信人者であっても神は罰しない。
(この議論はよくわからない。スメルジャコフは無神論なのかな。遠藤周作「沈黙」ではそのような行為にカソリックは「よし」というようだが。あと「山に動け」と命じるのは神を試す行為なのでは。次の巻の「大審問官」で神を試す行為の是非が問われていたはずで、イワンとスメルジャコフの思想の近さを感じた。)
(このあと、フョードルがイワンとアリョーシャに「神はいるか、不死はあるか」と問いかける有名なシーン。)
 ドミートリーが侵入してくる。フョードルはグルーシェニカを匿っているのではないかという思い込み。グリゴーリーを殴り、逃げたフョードルを追いかけて殴りつける。興奮したドミートリーは「また殺しにくる」といってカテリーナの家に向かう。イワン「(止めなければドミートリーは)きっと殺していた。あんなイソップ爺さん、そう手がかからんからな」。フョードル「ドミートリーよりイワンが怖い」。
(ここはドミートリーの激情ぶりに注目するべきであるが、父殺しの動機は彼だけでなく他の兄弟にもあることがさりげなく書かれている。口を開かないスメルジャコフもドミートリーとのもみあいをしているのだ。)
 アリョーシャはカテリーナに家に行くと、そこにはなんとグルーシェニカ(22歳)がいた。二人は互いのことを話し合って理解したはずだが、グルーシェニカはカテリーナの手にキスしなかった。そのことで老商人の囲い者でイワンのいう「ケダモノ」はカテリーナを挑発する。
(グルーシェニカはとてもプライドが高く、他人と対等の関係を作れず、支配しようとする。そこに「卑劣」「破廉恥漢」を自称するドミートリーは惚れたのだろう。ドミートリーは屈辱を愛する男。)
 帰宅途中でアリョーシャは待ち伏せしていたドミートリーにあう。あったことを伝えると、ドミートリーは哄笑して俺の見た通りだという。そして「自分は卑怯者」「アリョーシャとはこれっきり会わないでいい」「俺を見ろ、恐ろしい破廉恥が行われようとしている」「卑劣なたくらみを実行する」と言って姿を消す。
(借金で首がまわらず、フョードルの金をあてにしたいことが知れ渡っているドミートリーはどんな「卑劣なたくらみ」を考えているのか。ラスコーリニコフ罪と罰は「あれ」「醜悪な計画」を決して明かさなかったのだが。)
 修道院に顔を出すと、ゾシマ長老の容体は悪化。数日中に亡くなるものと思われる。ゾシマはずっと夜に談話会を開いて僧の懺悔を聞いていたが、それを非難する反長老派がいた。この反目がいずれ起こりそうである(アリョーシャは還俗したので、派閥闘争には無関係になるはず)。寝る前に僧衣のポケットを見ると、リーザ(14歳)のラブレターが入っていた。
(俗世に戻ると、そこには俗世なりの問題が生じる。アリョーシャは「小英雄(初恋)」の主人公の男の子のような役回りであるが、20歳ともなると結婚がやってくる。そうすると、イノセントである男の子も「女好き」の問題に振り回されるようになる。編のタイトル「女好きな男ども」の対象になるのはフョードルとドミートリーだけのようであるが、イワンもアリョーシャもその資格がある。おそらくスメルジャコフも。カラマーゾフの家には長らくフョードルの妻がいない。女のいない家だから女をめぐる男の問題が起こる。)

 

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2024/10/01 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 2」(光文社古典新訳文庫)第2部第4編「錯乱」 錯乱しているのはカラマーゾフの兄弟だけではない。関係者も錯乱している。 1880年に続く