odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 2」(光文社古典新訳文庫)第2部第4編「錯乱」 錯乱しているのはカラマーゾフの兄弟だけではない。関係者も錯乱している。

2024/10/02 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 1」(光文社古典新訳文庫)第1部第3編「女好きな男ども」 のちの殺人事件の推理の手がかりが書かれている。 1880年の続き

 

 修道僧ラキーチンは、カラマーゾフ家には女好き、神がかり、金儲けの特長があると指摘した。その性質は父と4人の息子(スメルジャコフも入れる)に見られる。と同時に、それらはこの街に住む人たちにも広がっている。女好きはカテリーナとグルーシェニカの不仲になり、金儲けはスネリギョフ一家と子供たちの貧困でかかわってくる。この第2部では、神がかりのフェラポント神父とゾシマ長老の対立から修道院の権力抗争に発展し、イワンの「大審問官」として大問題になる。

 アリョーシャは誠実で公正であることが知れ渡っているので、だれもが彼に本心を話し、切実な相談をする。ときには偏狭と思われるような思想を彼に聞かせることがある。これまで修道院で修養の生活をしてきた若者は、世俗の生活や仕事にも複雑で深淵な問題があることを知る。そして考えて、口にする。この小説の主人公はまさにアリョーシャにほかならず、彼がいかに教養を積み大人になっていくかが描かれるのだ。

第2部
第4編「錯乱」 ・・・ アリョーシャが修道院をでてから、みな「錯乱」している。フョードルはドミートリーとイワンの息子におびえ、ドミートリーは借金と結婚申し込みで右往左往し、イワンは自分は愛されていないと認識して自己評価が低くなり、カテリーナは誰を愛しているのかわからなくなり、グルーシェニカも喜怒哀楽の感情が安定せず、リーザはラブレターを書いた直後に取り戻そうとし、ゾシマ長老の容体悪化で修道士たちは動揺し、見知らぬ小学生はアリョーシャに石をぶつけ左手の指を強く噛む。一人の動向が周囲に影響を与え、波紋が広がるように不安とヒステリーが蔓延していく。どこかで爆発しそうな予感。以上この編の要約。
 修道院では斎戒と沈黙の行者フェラポント神父の存在感が増し、珍しく会話を交わすことができたオブドルーソクの修道僧は彼のスポークスマンになって修道院を混乱させていくだろう。
(ゾシマはとても尊敬されていたので、奇跡が起こるのではないかという期待が修道院中にあった。奇跡そのものをゾシマは望んでいないようにみえるが、宗教集団は奇跡を望む。その期待が裏切られたとき、期待していた人々はどのように行動するか。集団の権力争いと同時にこの行方に注目。それはイワンの「大審問官」の裏返しとして現れる。)
 フョードルは殴られたけがで消沈していたが、グルーシェニカと結婚するために小金の準備に余念がない。でもドミートリーよりイワンのほうが怖く、息子と認めていないという。グルーシェニカと結婚するのもドミートリーへの面当てが目的であるようだ。
(ドスト氏の小説に出てくる結婚は、中年男が10代の少女をめとろうというもの。年の差の大きな結婚は当時のロシアでは普通であったようだが、男からすると、対外的には世間体や見栄えのためで、家庭内では女性に対する暴力の開始となる。女性にはつらい時代。でも他のロシアの小説を読むと、それほど悲惨なことにはならず、サディズムマゾヒズム収集家であるドスト氏が誇張したロシアなのだろう。)
 ホフラコーラ家に行く途中、6人の小学生(9~12歳)と会い、挨拶すると一人から石を投げられ指をかまれる。男の子は泣きながら逃げ出したのであるが、のちにスネリギョフ二等大尉の息子と知れるだろう。
(小説の時代はいつなのかわからないが、連載の1880年ころだとすると、6人の小学生は農奴解放令以後の生まれ。農奴制を知らない新しい世代。のちに彼らは一つの徒党を組むのであるが、ラスコーリニコフの構想やスタヴローギンの五人組とは異なる運動論や組織論を持つだろう。イリューシャの行動は、「悪霊」でピョートルの指をキリーロフが強く噛んだのを思い出させるなあ。)
 ホフラコーラ家にはリーザが待っていて、アリョーシャにあてたラブレターを取り戻そうとするが、持っていないので癇癪を起すも、指のけがに驚き、介抱をかって出る。アリョーシャは修道院を出た後、試験を受けて高校卒業の資格を得てからリーザと結婚するつもりだという。
ラスコーリニコフは足の悪い女性との結婚を解消し、スタヴローギンは足の悪いマリアと極秘に結婚して隠していた。ドスト氏のオブセッションであるが、ここでようやく具体的に書かれることになった。)
 ホフラコーラの夫人は家にいるカテリーナを見て、「彼女が愛しているのはイワンで、ドミートリーを愛していると思い込もうとしている」と喝破する。そのカテリーナは、ドミートリーがグルーシェニカと結婚しても見守っていくと強く言う。それを聞いてイワンは「カテリーナは僕を愛していない」「モスクワに行く」と身を引くことにする。アリョーシャと夫人はそうではないとたしなめるが、イワンの気持ちは変わらない。
(ドスト氏の小説で、ここまで複雑な三角四角の複雑な愛憎関係が書かれたことはあるか(「白痴」は再読していない)。第1部ではフョードル、ドミートリー、イワン、グルーシェニカ、カテリーナの関係は図式的だったのだが、当事者はそれぞれの愛情と思惑と語りだすと、そう単純なものではない。絡まりあった愛憎の糸をほぐすのは難しそう。そこに、アリョーシャとリーザの関係もこじれてくるのである。なんと複雑な。たいてい「カラマーゾフの兄弟」は神と存在をめぐる思想小説として読まれるのであるが、愛情と嫉妬の恋愛小説でもあるのだね。)
 カテリーナの頼みで、アリョーシャはスネリギョフの家に行くことになる。前日ドミートリーが料理屋で暴れて、彼に傷を負わせてしまったのだ。カテリーナが行くと角が立ちそうなので、アリョーシャのほうがふさわしい。
(20歳で未成年と思われているアリョーシャは他人の依頼を断ることがない。彼の親切や共感がそうさせるのであるが、他人の影響を受けやすいともいえる。子供たちが成長して、自分の考えで行動するようになる時(13年後に彼らは20-23歳だ)、アリョーシャは子供らの主張にNOといえるだろうか。)
 スネリギョフの家はあばら家。足や背中に障害のある娘がベッドで寝ていて、息子のイリューシャもふてくされている。屈辱に耐えてきた男であるスネリギョフ(神がかって見えた)はこのしばらくの間のことを話す。ドミートリーが料理屋であごひげを引っ張って連れまわすという侮辱行為をしたが、立場上逆らえない(フョードルが裁判を起こそうとしているのだ)。イリューシャが必死に止めようとした。それはかえって学校でうわさになりいじめやからかいの原因になった。イリューシャは復讐を思い詰めている(のでおなじカラマーゾフ家のアリョーシャにあたったのだ)。スネリギョフも苦しんでいるが、にっちもさっちもいかない。そこにアリョーシャは慰謝金を渡そうとする。スネリギョフはその金でできることを空想するのだが、ふいに気が変わって「一家の名誉を引き換えに金を受け取れない」と叫んで金を捨てて踏みつけた。
(この強い自尊心は共感するのは難しいが、当事者からすると切実な感情なのだろう。「人間らしく扱え」というのはスネリギョフの行動にあるのだろうね。ラスコーリニコフ罪と罰も、乞食と間違えられて渡されたコインを川に投げ込んだりしていた。被差別者に「寄り添う」ことは彼らの自尊心に厚真かしく踏み込み、彼らのコミュニティを壊すことになりかねない。とても慎重なアプローチが必要。カテリーナとアリョーシャの善意は無神経に過ぎたのだ。)
 スネリギョフは散歩コースに連れ出して大きな石まで進む。空には30くらいの凧が飛んでいる。大きな石は重要な場所になるので記憶しておくこと。江川卓によると、凧は蛇のイメージであり、黙示録の象徴でもあるとのこと。スネリギョフの気が変わるのは、凧を見てからだった。
2013/11/05 江川卓「謎解き「カラマーゾフの兄弟」」(新潮社)

 

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2024/09/30 フョードル・ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟 2」(光文社古典新訳文庫)第2部第5編「プロとコントラ」 イワンの長広舌。肯定しているのは誰で、否定しているのは誰? 1880年に続く