ああ、やられてしまった。そりゃ俺も「カラマーゾフの兄弟」の続編をこんな感じになるのかなと妄想したりしたものだが、もっとすごいのがここにあった。脱帽。
1874年(というのは著者が推定した事件の年代)にロシア帝国を震撼させた「カラマーゾフ家の父殺し事件」。それから13年(となると小説の〈今〉は1887年。スメルジャコフは裁判中に自死。ミーチャはシベリア流刑中に事故死している。アリョーシャはリーザと結婚して小学校の教師になり、13年前の子どもたちはばらばらになり疎遠になっている。イワンは内務省の特別捜査官となり、国内の未解決事件を担当していた。イワンはときに記憶が失せたりひどい頭痛を起こしたりチェルマシニャーに恐怖を覚えるなどの神経障害を持っていた。そしてイワンは、父殺し事件の裁判は誤っていた、ミーチャは殺人を犯していないし、スメルジャコフでもないと確信していた。そこで13年ぶりに父の屋敷が残る街に再捜査のために帰ってくる。
フョードルの墓を暴き頭蓋骨を調べると、彼らの証言にでてきた文鎮が凶器でないことがわかり、イワンにつきまとう今はトップ屋(死語)になったラキーチン(もと神学生)が殺される。人の記憶から父殺し事件は失われておらず、ドミートリー(ミーチャ)の亡霊が現れたのではないかとうわさが広がる。
(父殺し事件を記録する)前任者は三人称で書いていたので、兄弟たちの行動と内面は手に取るようにわかる。13年後の本記録を残した名無しの記録員はほとんどイワンによりそう。三人称一視点のハードボイルドのカメラアイになるのだ。そうすると、人嫌いのイワンは事件の渦中にあった他の兄弟たちの言動をしっかりを観察したわけではない。イワンは、ミーチャの蕩尽やアリョーシャの大地投身などは知らない。あとから知っても意味が分からない。ミーチャやアリョーシャよりもスメルジャコフを詳しく知っているが、新たな証言を得られない。多くのキャラがいなくなっているとなると事件の捜査は非常にむずかしい。この難題を解くためには、リュウ・アーチャーのように過去を調べないといけない。そうするとイワン自身も捜査対象になる。そこでトロヤノフスキーなる心理学者をイワンの傍らに置く。彼の科学的で冷静な行動性向がもう一人の探偵となってもうひとつの謎であるイワンの病気、トラウマの原因、を解いていく。
著者はすごいと思うのは、このトロヤノフスキーだけが小説に挿入した新たなキャラで、それ以外は前任者が書いた「カラマーゾフの兄弟」の登場人物をそのまま採用していること。こと過去の再現にさいしては、前任者の記述をそのまま採用する。ミーチャ無罪、イワンの指嗾によるスメルジャコフの犯行に落ち着きそうなところを、前任者の記録はそのまま書き換えず、事件を再解釈することになるのだ。それが第3章にあたる「『カラマーゾフ事件』とは何か」の章で行われる。亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」には事件当時の時刻表(ダイアグラム)が載っているが、それ以上に精密細緻な時刻表(ダイアグラム)が書かれているのだ。その結果、前任者が時刻の勘違いをしていることが明らかになる。さらに、犯行証言と死体発見時の状況に矛盾があることや、犯行証言の凶器と傷があわないことや、現場になった屋敷の扉が何度も開け閉めされていることなどにも注意がむけられる。これらは前任者の注意から漏れたところ。ごく些細な細部まで見逃さない慧眼なのである。
さらに、過去の詮索や捜査は前任者の記録から得られる印象は偏見や思い込みがあった。再捜査で浮かび上がる人格は前任者の記述には合わない。むしろ別人であるかのような新しい性格が浮かび上がる。アリョーシャは人格者で知的であるというよりどこかぼんやりとしてふわついているようだし、リーザはさらに癇癪と加虐の度がましているようだし、グルーシェニカもミーチャとの最後の邂逅のあと劇的な変身をとげたようだし、スメルジャコフの他者を操る能力はイワンだけに発揮されたわけではないようだし。このようなキャラの読み替えがみごと。ことにイワンの読み替え、再解釈において最高の成果となる。すなわち、この「無神論者」は冷静で他人に無関心であるかのようであるが、実は多重人格であるとされる(小説半ばに登場するので大丈夫)。彼の長広舌や譫妄は普段の彼とは全く異なる印象を残す。一世紀以上イワンの分裂を統合するさまざまな説明がなされてきたが、それを著者はこれで説明する。すると、神経症やアルコール耽溺などで説明してきたことは不要になり、むしろその解釈で統合した人格としてみることができるのだ(ドスト氏の小説にはまさに「二重人格(分身)」という小説があるので、この解釈は妥当)。
さらに続編では皇帝殺しが主題とされる(と言われている)。通常はアリョーシャが皇帝暗殺計画グループの主宰者となるとされる。「カラマーゾフの兄弟」のエピローグで「カラマーゾフ万歳」と唱和したアリョーシャは秘密結社主催者とは結び付かない。そこで著者は社会主義者を自称するコーリャの存在に目を向ける。彼の生い立ちと思想傾向を分析することで、この難題を一気に解決する。アリョーシャがなぜ革命思想を持つようになったかも説明する。なるほどそういう経歴であれば、アリョーシャもそうなるであろう。そして無知でお人好しなアリョーシャが皇帝暗殺に関与するのも当然とうなずける。
というわけで「カラマーゾフの兄弟」の続編を構想する見事な解釈を堪能した。本書一冊を単体で読んでも面白いだろうが、「カラマーゾフの兄弟」を事前に読んでおくことを推奨。そうしないと、父殺し事件の真相以外の著者の仕掛けをスルーするというもったいない読書になる。本書に登場するさまざまな再解釈と比べると、父殺し事件の「真相」はわりと凡庸なのだ。
(途中、ミシェル・アルダン(のちのジュール・ヴェルヌ)「月世界旅行」の本が登場。これはドスト氏が「悪霊」執筆中に1865年にロシア語で翻訳出版されたヴェルヌ「地底探検」を参照したことがわかっているので、登場してもおかしくない。こういう小ネタ、調べるのは大変だろうが、があるのも楽しい。亀山郁夫「ドストエフスキー「悪霊」の衝撃」光文社新書を参照。)
では、これで続編構想は止めてよいのか。いや物足りない、となる。亀山郁夫によると「カラマーゾフの兄弟」は象徴界・自伝界・物語界の三層構造になっているとされる。この「妹」は物語界の謎解きにはなっているが、象徴界と自伝界はほぼスルー。最後に真犯人と探偵イワンの神の考えが語られるが、とても皮相で通俗的。「大審問官」の内容にも言及がない。本作は、父殺し事件の謎を解くことによって、「カラマーゾフの兄弟」たちから神秘のヴェールをはぎ取った。そこらにいる凡庸な人間、モッブ(@アーレント)やダス・マン(@ハイデガー)そのものであると暴露した。現実世界の多くの人は凡庸なので、彼らを地上に落とし込んでどこにでもいそうな凡人であるとするのは読者を安心させるのであるが、俺のようなマニアになると想像上のキャラである「カラマーゾフの兄弟」たちには神秘を感じていたいのだ。枚数(字数)制限がある江戸川乱歩賞応募のためにもっと長い原稿を削ったらしい。この小説はもっと長い方がよいので、もとのアンカット版で読みたいなあ。
高野史緒「カラマーゾフの妹」(講談社文庫)→ https://amzn.to/3X3J2Dh
〈参考〉