スターリン批判があり、フレシチョフの雪解け政策があったとしても、ソ連社会はまだ堅苦しく、文化統制は続いている。1960年ころからのDSには二つの変化が訪れる。
ひとつは、公務をたくさん担うようになること。コンクールの審査員であったり(アメリカのヴァン・クライバーンが優勝した第1回チャイコフスキーコンクールの運営委員長になっていた)、音楽祭の委員長になったり、音楽家の団体のトップにたったり。その結果、ソ連の文化交流の代表として、国外に出ることが多くなる。1962年と1972年の2回のアメリカ訪問と、イギリスでのDSを特集する音楽祭に出席したのがその種の外遊の代表になる。そこでブリテンと友人になったりした。国内の知人や友人には、ロストロポービッチ、オイストラフ、コンドラシン、バルシャイなどがいる。ムラヴィンスキーとは親交と疎遠の時期があった。いずれも大物ばかり。リヒテルとはうまく付き合えなかった。どうやらリヒテルが近寄らなかった様子。
DSはそのような時代において、権力との対決姿勢を鮮明にしたことがなかった。迎合の作品を書いたり、音楽家の集まる集会で自己批判をして、それ以上の追及が来ないようにする。政策が変わって世界的な名声をもつDSを権力が利用しようとしたときに、受け入れて国家の代弁者や代表者となっていく。知り合いの中には、当局の弾圧を受ける人がいた。彼らはDSに保護を求めたが、DSは拒絶した(行き場のなくなったソルジェニツィンをかくまったのはロストロポービッチで、それが原因で亡命を決意した。ロストロポーヴィチ「ロシア・音楽・自由」みすず書房)。古い友人が相次いで死去したこともあり、彼の支持者は次第に減っていく。「証言」では公的活動自体が強制されたものであるという。そこから、DSのイロニーと皮肉の所産であり、ときに「道化」として権力の迎合と批判を同時に行ったとする見方もあるが、それはどうか。
DSの音楽はソ連の音楽界では社会主義リアリズムを代表するものとされたが、彼の次の世代では影響力を失っていた。モダニズムやグロテスク風も、社会主義リアリズムもすでに古めかしいものになっていた。DSの最後の交響曲の初演は成功と喧伝されたが、観客の一人だったシュニトケは、座席の半分くらいの観客しかいないし、拍手もおざなりのものだったとのちに書いた(アレクサンドル・イヴァシキン「シュニトケとの対話」春秋社)。また戦後ソ連では12音音楽やロックは禁止されていたが、人々は楽譜やレコードを手に入れて、それらの勉強を開始していた。1960年代には一部の作曲家(たとえばアルヴォ・ペルト)が12音音楽を使った作品を書いていた。彼の弟子たちも作風を継承しないで、DSに批判的な作品をつくるようになっている(ときにDSはG・ウストヴォルスカヤなどの弟子の「過激」な作品に影響されたりもしたという)。
以上に加え、もうひとつ変化は、1959年ころからの身体の異常。右手が動かなくなる、足がもつれて骨折する、心臓発作を起こすなどさまざまな障害がDSに起きたこと。病名や原因は不明であったが1969年に脊髄性小児麻痺の診断がでる。1973年に肺がんも発病。何度も入退院を繰り返し、車いすがなければ移動できず、ペンで作曲するのが困難になる。それでも緩解期があって、そのときには作曲することができた。
これらの自身および周辺におきた出来事がDSを内向的にする。死をテーマにするようになり、交響曲第13番で過去のユダヤ人虐殺を描き、第14番で様々な詩人の死の詩に曲をつける。これらの大規模作品よりも室内楽のほうが孤独や諦念などをよく聞き取れるだろう。別エントリーで既出の弦楽四重奏曲第15番とビオラソナタが白眉。とっつきにくい作品ではあるが、
アメリカで診療を受けても効果的な治療がないのはかわらず、1975年8月9日に没する。享年68歳。
1980年代後半にマーラーブームがあったとき、「マーラーの次はショスタコーヴィチだ」といわれたことがあったが、そうはならなかった。マーラーは感情移入できるわかりやすさがあったが、DSの複雑さとグロテスク趣味には大衆受けする要素にならなかったのかもしれない。
DSは忘れられるかと思ったが、1979年にヴォルコフ「ショスタコーヴィチの証言」がでて、注目を浴びる。「証言の内容を演奏に反映したといわれる録音がでたりもする。
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2016/06/17 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-1 に続く