odd_hatchの読書ノート

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ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1 最初の受難。スターリン体制期に非難され粛清される危機にあう。

 著者のドミトリイは、DSが懇意にしていた音楽学者イワン・ソレルチンスキーの息子。イワンは若くして亡くなったが、DSはそのあとも家族と交友していて、ドミトリイもよく知っていたらしい。そこでDSの死後に編集・出版された。ヴォルコフ「ショスタコーヴィチの証言」のあとなので、「証言」に対抗する目的もあったといわれる。のちにファーイが使えた資料がなかったせいか、記述は簡略気味。生涯に何度か起きた迫害の情報も少ない。後半になると個人的な思い出が語られるなど、資料価値はそれほど高くない。まあ、資料にしようにも入手困難な稀覯本


 斬新な音楽を次々に制作し、国内にとどまらず世界的な名声を獲得していたDS。1933年に現代ソ連の女性像を描くという目標で「ムツェンスク郡のマクベス夫人」を制作する。その上演は高評価を得た。しかし、1936年1月28日付けのプラウダで無署名の記事によって厳しい批判を受ける。その2日前にスターリンとその側近がモスクワの上演を観劇していて、途中で退席していたのだって。ショスタコーヴィチ本人も劇場にいた(P119)。
 このころには、レーニン死後の派閥抗争で勝利したスターリンが経済統制に続いて、文化統制を開始していた。党員に向けられていた粛清は一般市民にまで起きてきて、さまざまな理由で市民が逮捕され、弁護人のない秘密裁判を受け、収容所に送られて強制労働をさせられたり、殺されたりした。飢饉が起きると、地方農民の備蓄を徴発し、多数の餓死者がでた。少数姻族が迫害され、強制移住させられたり、虐殺されたりした。その数は数千万人ともいわれる。音楽の本では政治状況に触れることが少ないので、適宜補完すること。そのあと、ナチスドイツを手を組んだり、侵略戦争に対抗したりと、政治のダッチロールは続く。
(1939年6月にDSは自分のアパートでメイエルホリドと偶然であわせ、一緒にお茶を飲んだ。その翌日、メイエルホリドは逮捕されたというP155-156。メイエルホリドは拷問を受け、死刑判決の出た1940年2月1日の翌日に銃殺された。)
 DSは交響曲第5番(1937年)と、とりわけ第7番(1941年)の成功で評判を取り戻す。戦争が始まるとレニングラードの消防隊に志願した。演習時に制服を着て屋根に上って監視する写真が世界に出回り、ソ連のアンチファシズムのアイコンに使われたりする。しかし、そのあと戦況が好転してから作られた交響曲第8番、9番、ピアノ協奏曲第1番などに対して、1948年にジダーノフによって「形式主義」という批判を受ける。批判を受けたのはDSのほかに、プロコフィエフ、ハチャトリアン、ポポフミヤスコフスキーなどがいた。
 「形式主義」はなにかの観念を含んだことばではなくて、「大衆への訴えかけが不足した音楽」程度のあいまいな意味でしかない。政治的な場面の「トロツキズム」と同じレッテルで、先にこのレッテルを張ったほうが有利に立てる便利なことば。その程度のあいまいな内容で非難されたのだが、当時のソ連社会では致命的になる。当時のアネクドートを読むと(平井吉夫「スターリン・ジョーク」河出文庫)、監視と収容所の社会の閉塞感と不安と恐怖を読み取れる。
 この間をDSは

形式主義者として私が批判されたとき(略)ほとんど音楽のことを知らない人たちから、莫大な数の中傷の手紙が寄せられたのです。『お前なんか死刑だ、殺されろ、この世から消えてしまえ、このならず者め』(1953年ころ)P212」

と回想する。恐怖に陥っている人に対し、ヘイトをぶつけるのはいずこも同じか。この国の戦時中の「非国民」というヘイトを思い出し、ナチスドイツやマッカーシーズム(リチャード・ロービア「マッカーシズム岩波文庫)の時代に思いは向かい、そのうえでこの国の21世紀のヘイトスピーチ問題を考える。過去を知ることによって、この時代に起きていることにどのように対抗するかを考えよう(まあ、大多数の人がいっせいに差別に抗議する行動をするという単純にして、腰を重くするところに決着するのだが)。
 世界的な名声は衰えていないDSは、1948年のモスクワでの作曲家と音楽学者の会議で自己批判をする。レニングラード音楽院教授を解雇される。収入が激減したので、映画音楽を作ることでしのいだ。
 この状況は1953年のスターリンの死と1956年のフレシチョフによるスターリン批判(フレシチョフスターリン批判」講談社学術文庫)まで続く。そのあとは「名誉回復」がなされる(公式発表はなし。いくつかの組織やプロジェクトのトップになることで代替)。とはいえ、交響曲第13番でユダヤ人虐殺を描いたことで物議をかもすなど、相変わらず身辺は騒々しい。当時ソ連では反ユダヤ主義の政策があって、ユダヤ人迫害が行われていた。当時ソ連では市民の国外旅行は制限されていたが(場合によっては国内旅行でも)、唯一出国できたのはイスラエルで、ユダヤ人にはイスラエル移民を勧めるために優遇措置があった。それが非ユダヤ人の反感を生んでいたりした。
 フレシチョフからブレジネフの時代になっても、ソ連の文化統制や言論規制は相変わらず続いている。市民の監視と密告、警察からの脅迫が続き、民主派と目される著名人はさまざまな不当な規制を受け、ときに軟禁されたりした(ソルジェニツィン、サハロフなど)。この情報は西側にも伝えられていて、多くの関心を呼んだ(自分のような小中学生でも監禁された人の名と彼らの解放を要求する運動があることをしっていた)。
 この時代をDSをどうにかやり過ごす。多様な作品を作って、一つの様式にまとまらずに変化を続ける。自分の苦手な作品が並ぶ。有名な交響曲第5・7・8・10・11番はさほど良い曲とは思わない。むしろ能天気に思われる交響曲第6番と第9番や、たぶん迎合的な作品と思われる「森の詩」「組曲ゾーヤ」を聞くことが多い。

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2016/06/20 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-2  に続く