odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「神の灯」(嶋中文庫)

 書誌が複雑なので、憶測を加えて書くと、1950年代に新潮社でだした訳(一部は新潮文庫で出ていた)を1960年代に中央公論社が使って、推理小説の選集をだした。それを中央公論社の元社長の一族の嶋中文庫が再発行。ややこしや。収録されているのは「神の灯」「マッド・ティー・パーティ」「ひげの女」「首つりアクロバット」。エラリー・クィーンの冒険・新冒険の2つの短編集に収録されていたものから抜き出している。ここでは大久保康雄訳だが、宇野利康訳で創元推理文庫も出版されている(創元版はどちらも高校生の時に読んでいる。新冒険のほうのデータがないが)。なお、「マッド・ティー・パーティ」は同じ創元推理文庫の「世界短編傑作集 4」(江戸川乱歩編)に「気違いじみたお茶の会の冒険」というタイトルで入っている。
 いずれも、クィーンの短編の傑作ばかり。冒頭の大胆な謎、中盤の不可解さと困惑、急転直下の解決が見事なくらい。そこに、クィーン氏の仕掛けや冒険が加わって、ミステリを読む快楽を味わえる。あんまり持ち上げてばかりではいけないと思い、クィーン氏であってもときにはひどい短編を作ることがあるのだよ、とりわけ40年以降になると、といっておこう。
 面白いと思ったのは、「神の灯(The lamp of God)」というタイトル。これは1940年の作になり、クィーンにとっては中期にあたる。その中でも早い時期だろう。前期のクィーンにとっては、理性でもってすべての事象は判断できるという確信があった。だから、1934年作の「マッド・ティー・パーティ」ではクィーンは理性によって悪をあぶりだし、断罪するために犯人にトリックを仕掛けることに躊躇しない。それが中期になると、理性による判断は完ぺきであるかというのが問いになってくる。その上で、悪の断罪は理性によって行うことは「正しい」のかという道徳の問題がはいってくる(のちの「十日間の不思議」「九尾の猫」の主題になる)。「神の灯」ではまだ「道徳」の問題は主題になっていないのだが、「正しさ」の保証としての「神」が現れだしている。(もしもこの犯罪が行われたとき、天候が雨や雪であったら、クィーンは謎を解決することができなかったかもしれない。しかし、「神の灯」が偶然、射したおかげで解決することができた。ここには理性の力は弱められていて、むしろ神を感じる「直観」「観照」が重要になっているということ。)

 嶋中文庫は絶版なので、創元推理文庫の短編集にリンクを張ります。

 

2016/11/8 エラリー・クイーン「エラリー・クイーンの冒険」(創元推理文庫) 1934年
2016/11/07 エラリー・クイーン「エラリー・クイーンの新冒険」(創元推理文庫) 1940年
2015/04/21 エラリー・クイーン「犯罪カレンダー(1月~6月)」(ハヤカワポケットミステリ) 1952年
2015/04/20 エラリー・クイーン「犯罪カレンダー(7月~12月)」(ハヤカワポケットミステリ) 1952年
2010/12/20 エラリー・クイーン「クイーンのフルハウス」(ハヤカワポケットミステリ) 1965年