odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「Zの悲劇」(ハヤカワ文庫)

 ニューヨーク近郊の大理石採掘会社は成長していたが、社長は苦難を感じていた。共同経営者の医師には悪いうわさが流れている。闇酒場(当時は禁酒法時代)と娼婦館を経営している女族長を部下にし、弟は上院議員でロビー活動に余念がない。そこに上院議員が脅迫状を受け取ったので、助けてほしいとサム元警部の私立探偵事務所を訪れる。そして上院議員は訪問の翌日に刺殺されてしまった。事件現場の近くには、脅迫状を書いた元囚人アーロン・ドウが潜んでいるのを発見してのである。

 冒頭はこんな感じ。上院議員にはアラビア風の木型が送られていてHEという文字が書かれている。それをみて彼はまっさおになったのだ。さらに医師のもとにも同じ木型と別の文字が書かれていて、それは何かを暗示しているらしい。この奇妙なプレゼントと言葉の断片というのはのちのクィーンが大好きな趣向になるのだが、たぶん初出としては最も早い。そのかわりに「Z」の意味合いは牽強付会で、事件の解決にはさほど影響しない。
 サム元警部は娘ペイシェントの頭脳に舌を巻きながらも、ドルリー・レーン氏に出馬を要請する。採掘会社と上院議員の屋敷の近郊には、アーロンの収監されていた刑務所があり、その近くにはレーン氏の旧友である神父が質朴な暮らしをしていた。途中、神父が死刑の立会をしなければならなくなり、レーン氏もついて行った。この科学の報告書のような死刑のドキュメントにはいささか恐怖を覚える。強制的に死を与えることが合法なのは、死刑の現場のみであるが、死が強要されることがどんなに暴力的なことかがわかるだろう。
 レーン氏たちの奮闘もむなしく、アーロンの有罪は確定する。しかも途中、なにものかの手引きで脱走し、あまつさえ上院議員の兄の医師が殺される現場で発見されてしまった。ふたたび死刑が求刑され、執行まであと3週間しかない。レーン氏とペイシェントは純朴な田舎者アーロンを助けることができるのか、真実の犯人はだれか?
 この種の事件(会社の共同経営者間の不和、古い因縁のルサンチマンでゆする男、主に上流階級かブルジョアに起こる)は、レーン氏よりも探偵クイーンの扱う事件のように思う。事件のクライマックスは死刑執行直前に知事とレーン氏一行が乗り込み、「ここに犯人がいる」と宣告し、ひとりずつ嫌疑を晴らしながら最後に残った人を指摘する。この外連にみちたやりかたも探偵クイーンが得意とするもの(「フランス白粉の謎」の再話)。解説では、XとYのふたつの小説の好評を受けて、急きょ書き下ろされたらしく、そのため普段の執筆者とは別の人が書いたという。となると、これは「エジプト十字架の謎」と「アメリカ銃の謎」の間に、クイーンの登場する作品として描かれていた可能性もありえる。妄想をさらに展開すると「アラビア玩具の謎」あたりのタイトルのなるのかも。そうすると、この作品も、「フランス」「オランダ」「ギリシャ」「エジプト」「アメリカ」と続く「意外な犯人」の系譜に乗るのではないか、そのほうが作家クィーンの意図により近しいのではないか(「○○が犯人」という意外な犯人の趣向は「悲劇」シリーズのほうが印象的との指摘がハヤカワ文庫「ドルリイ・レーン最後の事件」解説にあった。まあそうかもしれない、そっちのほうがより合理的な感じ)。以上で妄想は終わり。
 さて、そのほかの趣向は「タイムリミット(アーロンの死刑執行を食い止めなければならない)」、自立(というにはまだ人生経験が不足しているが)した女性探偵の最初、あたりが解説で指摘されている。まあ、そのとおり。せっかく女性の主観で書いているのだから、謎解きの前に彼女を危機に陥らせたら、もっと高い評価になったかも。そういうプロットを食い込ませる余地がないのも、もとはクイーン用のストーリーであったことの証拠になるかな?
 自分は、ペイシェンスとレーンの関係が、そのままナディア・モガールと矢吹駆の関係に重なることに注目。男性作家が女性の一人称で書くとどうも落ち着かないというか、あるいは下半身を感じさせないところがあるのだけど、これもそういう一例。