1940年初出のたぶん第2短編集。1930年代後半の作品が並ぶ。
神の灯 ・・・ 風変わりな老人が山林の隠れ家に住み、全財産を金貨に代えて「黒い家」に隠していた。老人が亡くなり、ロンドンに住んでいた娘が帰国する。彼を迎えたのは、老人の主治医。黒い家を見せて、別宅の「白い家」で歓迎の宴を貼った。翌朝、目覚めると、「黒い家」は消えていた。
「神の灯」というタイトルについての考察は別エントリーで済ましていて、今度の再読で付け加えることはない。この事件では建物消失という大トリックがめだつ(このトリックはモーリス・ルブラン「謎の家」1928年という先例がある)が、もうひとつのトリックにも注目。無理のない自然な仕掛け(まあ、読者の物理現実ではなかなか困難ではあるのだが)。ただ、謎解きのあとに数ページにわたる過去の因縁物語が追加される構成はちょっと古めかしいなあ。なんとか本文中に組み込めなかったかと、残念に思う。
宝捜しの冒険 ・・・ バレット将軍は娘のレオニーがフィクス中尉と結婚することに目を細めている。友人のハークネスとクイーンが訪ねてきたので、ニクソン夫人も交えて歓迎会。翌朝、レオニーの高価な真珠の首飾りが無くなった。クイーンが警察流の家探しをしても出てこない。そこでクイーンは一同に宝探しゲームを提案し、彼らを観察することにした。ヴァン・ダイン「カナリア殺人事件」ほどの心理的捜査ではなく、コン・ゲームでした。
がらんどう竜の冒険 ・・・ 骨董店を経営している日本人の老人(カジワ・ジトは香川次郎あたりか)が消え、龍のドア・ストップ(というが石鹸石の置物だな)が消えていた。その夜には蛇が這うような音もして、看護婦が頭を殴られている。龍には5万ドルの現金が入っていたという。エラリーは置物の送り状を見て、事件を見出す。「支那事変」が起きたばかりというから、1937-38年のころ。当時のアメリカから見ると日本は「野蛮」で無神論の異国というエキゾチックなイメージ。1940年になるとアメリカでは移民排斥など排外主義が起きる。
暗黒の家の冒険 ・・・ 遊園地ジョイランドのアトラクション「暗黒の家」で射殺死体が見つかった。正確に心臓を狙い撃ちしているという凄腕。出入り口は見張られていて、逃げたものはいない。当時、中にいたのは6人。さて誰でしょう。このアトラクションには照明が一切ないというのは、時代とはいえ驚異。
血をふく肖像画の冒険 ・・・ その家には肖像画が血を吹くと、死者が出るという言い伝えがあった。絵を描くのが趣味の医師の奥さんに、イギリス人が言い寄り、翌日姿を消した。その直前に、肖像画に人間の血がついていた。屋敷の周囲を捜索すると、人が逃げた跡がある。でもエラリーは煙草をふかしてばかり。
人間が犬をかむ ・・・ ニューヨーク・ヤンキースとニューヨーク・ジャイアンツのワールドシリーズは1937年。この年は第7戦までもつれていないし、ゴメスとハッベルが投げ合った試合もない。ジャイアンツ・ファンのエラリーが夢見た試合です。その試合を一緒に観戦していたプロ野球選手と女優が観客に見つかって即席のサイン会をすることになった。終わった後にホットドッグを食べたプロ野球選手が卒倒した(ここがタイトルの由来)。衆人環視の球場でどうやって毒を盛ったのでしょうか?(「アメリカ銃の謎」の変奏だな)
大穴 ・・・ つぶれそうな厩舎を買おうという話が舞い込んだ。それを断ると、娘がいなくなり、弟子の青年が唯一の出走馬に向かって発砲した。なんで、こんなことになったの?(映画「マルクス一番乗り」1937年に当時の競馬場が出てくる。)
正気にかえる ・・・ ギャングが興行主だったこのころ、ボクシングは賭け試合だった。で、今日の選手権試合はあきらかに八百長で、チャンプが負けた。彼は破産寸前だった。試合後、元チャンプは自動車の中で刺殺されているのがみつかった。エラリーは自分の外套が盗まれていたことから推理する。(「スペイン岬の謎」の変奏)
ボクシング会場を舞台にした同時代の作品に、ダシール・ハメット「ああ、兄貴@スペイドという男」(創元推理文庫)、ウィリアム・アイリッシュ「死の第三ラウンド@短編集2」(創元推理文庫)がある。
トロイヤの馬 ・・・ 百万長者は多額な寄付のためにローズボウル(アメリカン・フットボールの4大大学選手権)で出身大学が優勝すればボールをもらうことになっていた。今年の試合を見に行くと、持ってきたサファイアが盗まれている。長者は十数人に囲まれていて、盗む機会はなかったし、競技場のどこにもみつからない。さてどうやって盗んで、どこに隠したのでしょう。
「人間が犬をかむ」以降の4編は、エラリーが雑誌記者ミス・パリスといっしょにスポーツ(というかギャンブル)会場で遭遇する事件を集めたもの。女性記者は20世紀のゼロ年代の「隅の老人」からあるから、これが初めてというわけではないものの、職業婦人が主要なキャラクターとして認知されるほどふつうになってきたことに感慨を覚える。そういえば、同じころの横溝正史にも女性記者が何度か登場していた。女性の社会進出の様子がわかる。それができるのは女性に対する初等・中等教育が充実するようになったから。
あと注目は、野球・ボクシング・競馬などのプロスポーツのシステムがすでに完成していること。まだないのはテレビ中継か。
小説についていうと、パズルとしてのできは完璧。伏線の貼り方とその回収はよくできているし、ストーリー展開もスムーズ。それにリーダビリティもあって、「冒険」「新冒険」の2冊は探偵小説の短編の規範になる。後半のミス・パリスものは幾分ゆるみはあるのは、発表誌が違ったからだろう。