odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

中川右介「冷戦とクラシック」(NHK出版新書) WW2の終わりからソ連の崩壊までの欧米のクラシック音楽関係者の動向。政治の独裁者が消えた後にマネをしたエピゴーネンたち。

 中川右介「カラヤンとフルトヴェングラー」(幻冬舎新書)では、1930-55年までのヨーロッパを描いた。その時のテーマはナチズムとの関わりを軸にしたカリスマ指揮者たちの暗闘。

 本書はWW2の終わりからソ連の崩壊まで。ここではソ連型監視統制社会における芸術家や芸術団体の在り方を見る。主要登場人物はムラヴィンスキーショスタコーヴィチロストロポーヴィチスターリンによる1930年代の粛清はソ連東欧の人々を委縮させた。立法・司法・行政を一体化させた一党独裁体制は芸術分野も統制しようとした。ただ、本書を読むと、ソ連の芸術支配は一枚岩であったのではなく、文化芸術担当の政府高官や党官僚らの指導者忖度や派閥争いで行われたらしく、スターリンやフレシチョフに直接相談できる機会があると、ショスタコーヴィチ他への弾圧がすぐにやむこともあったらしい。とはいえ、監視や統制は日常的であり、上記に名前をだしていないギレリス、リヒテルオイストラフやオーケストラらの海外遠征は多大な困難と苦痛があったと見える。

2016/06/23 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-1 1年
2016/06/22 ローレル・ファーイ「ショスタコービッチ」(アルファベータ)-2 2年
2016/06/21 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-1 3年
2016/06/20 ドミトリイ・ソレルチンスキー「ショスタコービッチの生涯」(新時代社)-2 4年
2016/06/17 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-1 5年
2016/06/16 ドミトリ・ショスタコービッチ「ショスタコービッチ自伝」(ナウカ)-2 6年
2016/06/15 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中公文庫)-1 7年
2016/06/14 ソロモン・ヴォルコフ「ショスタコービッチの証言」(中央公論社)-2 8年

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 一方、西側のカリスマ指揮者であるカラヤンバーンスタインであるが、自由主義の国家は日常的な運営には口を出さないものの、国や都市の名前を冠して海外で演奏できる団体や指揮者を外交手段として使うことがあった。ソ連の雪どけの時期に、ふたりはそれぞれ国を代表するオーケストラを率いてソ連で演奏旅行をしている。ショスタコーヴィチの前で彼の交響曲を演奏する(カラヤンは10番、バーンスタインは5番)のは表敬以上の敬意を示しているのであるが、一方ではソ連の芸術政策に対抗する意図もあったらしい。
 以上は俺が持った感想であり、本書の記述ではさほど重視されない。本書は1945-91年までに、おもにカラヤンバーンスタインムラヴィンスキー(とショスタコーヴィチ)が何をしてきたかを編年的に記述している。上記の3人の指揮者(とひとりの作曲家)はそれぞれ評伝がでているのであり、どこで何をしていたかは詳しく記録されている。ひとりにフォーカスした評伝では背景に押しやられた出来事も、本書のような鳥瞰的な視点でみると誰がどこにいたかということからある種の意味が浮かんでくる。白眉となる指摘は、1962年のキューバ危機のとき、アメリカ・ニューヨークにムラヴィンスキーレニングラードフィルがいて、ソ連モスクワではニューヨークのメトロポリタン歌劇場が公演を行っていた。これは社会や歴史書にかかれないことで、国家の指導者の判断に影響したとは思えないが、偶然の綾としてメモしておこう。
 なので、本書は巻末にある文献を参考に、戦後の歴史を知っておいたほうがよい。ここにある記述だけでは全然足りないので。また、ここでは「政治と芸術」の関わりもでてくるが、あくまで権力とそれに対抗できる地位と名声をもっているものの闘い。無名の市民が公的自由を楽しむような運動とはかかわりがない(なので、クラシック業界の人種差別や性的マイノリティへの偏見に対する戦いは無視されている。それにカラヤンは掌握する組織にたいしては暴君的な権力者としてふるまっていたが、それへの批判もない)。これも別書で補完しておこう。

 ここにはクラシック音楽愛好家には興味あるできごとが列挙されているのだが(グールドが最初にソ連で演奏する西側ピアニストになりたがったとか)、21世紀になるとヒストリカルな演奏のライブ録音を耳にすることができる。章の終わりにはCDの写真が掲げられているが、そのうちのいくつかは聞いたことがあるし、CDがショップに並んでいたのを覚えている。20世紀は歴史をこうやってテキスト以外で体感できるようになった。 そのうえ、ここには百数十人の演奏家や作曲家が登場するが、俺のように長年クラシック音楽を聴いていると、ほぼすべての演奏や作品を聞いている。
 クラオタには楽しい本(だって、ほとんどの情報は「レコード芸術」などでしっていることだったし。まあ、点で知っていたことにつながりを示してくれたことはよい)。ちゃんと考える資料にするには、考察が不足。勉強の息抜きに読むのにはこれでよいでしょう。

 

 

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