odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

吉田秀和「今日の演奏と演奏家」(音楽之友社) 1970年のクラシック音楽界概観。著者の文章から観念が消え、比喩で音楽を語るようになった。

 1967年から翌年にかけての1年間、著者はベルリンに在住した。この1年間に、ベルリンのコンサートに頻繁にいくわ、演奏家・批評家ほかの音楽関係者と交友するわと大活躍。この期間の経験は忘れがたい印象を残したのか、後年のエッセイでしばしば語られる。

 内容は
レコードと実演の間で ・・・ レコードは実演の記録なのか、それは実演をちゃんと記録しているのかとかの議論。この時代にどちらに価値があるかという議論がよくあった。諸井誠の本にもその種のエッセイがあったと記憶する。問題になったのはショルティ指揮の「指輪」全曲で、ホールでは聞こえない音が聞こえるし、効果音がついているしで、これって「本当の」オペラなの?という疑問がでた。著者の場合、議論は尻切れトンボになって結論はあいまい。自分としては、SPの機械録音、電気録音のころから、演奏者は繰り返し聞かれることを前提にミスのない穏当な解釈にするとか、録音技師の要請でダイナミクスを狭く演奏する(fは小さめに、pは強めに。そうしないと音が割れたり聞こえなかったりする)ようにしていたという話を聞いていたので、実演とレコードは別物と考える。

若い才能たち ・・・ ベルリンで聴いた若い演奏家の紹介。アルゲリッチ、ゲルバー、フレーア(今はフレイレと表記)、ワッツ、エッシェンバッハなど。今ではすっかり大家。このようなまだ紹介されていない若い演奏家を書くときには、著者の筆は立つ。のびのびと、いきいきと。

再会 ・・・ 当時の大家。カラヤン、リヒター、バルビローリ、ジュリアード四重奏団、グールド、ギレリスなど。

作品と解釈 ・・・ モーツァルトシューベルトブルックナーなどの作品分析。シューベルトピアノソナタブルックナー交響曲はまだ知る人ぞ知るという状況だった。LPの紹介はともかく、楽曲分析を聴衆向けに解説したものとしては早い時期。

 いくつかの感想。
・このときにはすでに著者のスタイルが確立。生硬な観念はでてこないし、個人のうちにこもった思い出が記述されることもない。観念のかわりにさまざまな比喩がつかわれるようになり(自然現象をつかうようになる。光とか水とか色とか)、思い出はほかの人の考えを紹介するためのさわりになっていく。まあ、文章が外に向かって開くようになったのだ。
・この本に収録されたエッセイは、文庫に再録されたり、ほかの本に再編集されたものがすくない。ピアニストに関するものが「世界のピアニスト」に転載されたくらいではないかな。この本も1970年代の半ばの再販が最後。ほとんどの文章が読めない状態になっている。
・そのことに関係あるかどうかわからないけど、この人のエッセイは「現在進行中」で、途中経過報告として書かれている。なので、断定することはめったにないし、結論を先延ばしにしたり、まだ考え中なのでとりあえずまとめておくという断りが随所にでてきたり。では、時間がたって、たとえば演奏家が亡くなるなどして、この人はこういう人だったという結論をレポートするかというとそういうこともしなかった。なので、たとえばグールドなどデビュー時のときと、コンサートからのドロップアウトしたときと、没したときとそれぞれのときのグールドを書いた文章がある。それは一続きだけど、グールドについてのこの人の総決算の文章はない。このときはこう考えた、時間がたってこのときにはこういうことも考えた、さらに別の機会にこう考えたけど別にこう考えたほうがよいというような、考えを変遷していくことが彼のスタイルなのだろう。
 なので、著者には主著(この場合は、この一冊を読めば考えや思想のほとんどを網羅できるという程度の意味。ハイデガーの「存在と時間」、アドルノ啓蒙の弁証法」あたりをイメージ)がないな、一番近いのは「LP300選(名曲300選)」あたりだろうけどそこにも「私は間違っていた」という補注があるので、主著とは言えない。もうひとつは、この人のエッセイはいつ書かれたかを意識しておく必要がある。書いた年や場所の記憶が文章の地に隠されているから。

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