「雨続きに増水して、不気味ににごる川面。岩角にぶち当たってすりむけたのか、顔全体がグチャグチャに崩れ、醜くふくれ上がった溺死体! 死後十日以上経過している。恋に狂った男たちの奇妙な毒薬決闘の果て、<死の淵>へ誘い込まれた哀れな男の末路? 艶やかな未亡人をめぐって。つぎつぎに起こる怪事件。火傷で鼻が欠け、唇のない残忍な男と明智小五郎の鮮やかな推理闘争。多彩なトリック、複雑な謎、乱歩の怪奇推理の決定版。(角川文庫のサマリ)」
冒頭は男二人の決闘。二つのグラスに酒を満たし、片方にだけ毒薬を仕込む。仕込んだほうは相手が取るのを黙ってみるだけ。この奇妙な、しかし緊張感のある決闘は、先例がある。すなわち「カラマーゾフの兄弟」のゾシマ長老の一代記に書いてあるシーンである。ということを、乱歩は「スリルの説」というエッセイに書いている(「探偵小説の謎」現代教養文庫)。それくらいに思い入れのある話であるので、冒頭からしっかりと読者にフックを打ち込んだ。そのあとは、乱歩の筆に任せて展開するストーリーにのっていけばよい。
美しい未亡人・倭文子(しずこ)のとりこになり、上記の毒薬決闘で勝利者となった三谷青年が倭文子の家に入るところから奇妙なことが続出する。小川文三なる男の密室刺殺事件、倭文子の誘拐と国技館の屋上での犯人追跡、バルーンによる犯人の逃走、袋小路に追い詰めた犯人の消失、口うるさい斉藤老人(執事)と倭文子のもつれ合いで起こる老人の刺殺、古井戸で一夜を過ごす不安(異臭の原因はなんと・・)、棺に紛れ込んでの脱出、一寸法師の密室劇、製氷工場での氷柱に閉じ込められた美女、発砲しようとする拳銃は不発(明智「こんなこともあろうかと、弾を抜いておいたんだよ」)・・・乱歩の欲望を全面開化させたかのようなイメージが展開する。視点は倭文子または三谷に寄り添いすぎているために、記述はあいまいである。そこで第三者化する視点を読者が持てば、不都合なこと・不合理なことが・・・というのは野暮なのでやめておこう。そんな高級な読者である必要はまったくないから。口をぽかんとあけて、登場人物以外にはまったく意外でない犯人が、とてもではないがリアリティのない動機で犯罪を告白するシーンまでを楽しもう。いや、そんなことより、乱歩のエロシズムに酔うことかな。棺に倭文子とともに閉じ込められる茂少年(6歳)が空腹に耐えかねて倭文子の乳を求めたり、氷柱で全裸の茂少年がおなじく全裸の倭文子にしがみついているとか。中学生のときに読んだとき、強烈な印象を残しました。角川文庫の表紙は宮田雅之の版画で装丁されているが、これは氷柱の倭文子と茂。さすがわかっていらっしゃる。
明智小五郎が主人公になる長編小説の第2作目。エピローグで文代さんとの婚約が発表され、ますます小市民になっていく明智探偵を見送ることにしよう。
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角川文庫はあと「一人二役」「双生児」が収録。一人二役、双子という乱歩の好きな趣向をこねくり回したもの。家族を求めながら、家族に恵まれない男の妄執の行く末。前者はハッピーエンド、後者はバッドエンド。でも、前者は本当にハッピーなのか、という問いを松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫)でしているので一読のほど。
松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫) 1920年代の乱歩作品を都市分析のツールにすると、東京の多面性が見えてくる。 - odd_hatchの読書ノート
角川文庫は絶版なので、入手可能な代替品として創元推理文庫を紹介。雑誌連載時の挿絵があるのがとてもよい。