odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

江戸川乱歩「屋根裏の散歩者」(講談社文庫) 1925年に書かれた短編を網羅。引きこもり体験者が夢想した奇妙な味や幻想譚。

 大正15年、1925年の短編を集めたもの。全集の一冊なので、アンソロジーには収録されない作品も含まれる。

算盤が恋を語る話 1925.04 ・・・ 内気なTくんは、S子に恋したが言い出せない。そこで算盤でデートの誘いをした。「ゆきます」の返事があったのだが……。大正の時代のデジタルな恋。この失恋話はコミュニケーションの苦手な男には身にしみる。

日記帳 1925.04 ・・・ 2か月前に死んだ弟の日記帳を整理すると、雪枝という娘との手紙が射しこまれている。どうやら弟は雪枝に恋していたが、生来内気のため言い出せなかったらしい。葉書に込められた暗号。それを解読することによる衝撃と後悔。この二作、引きこもりの心情を的確に書き取っている。発表年月に注目。

幽霊 1925.05 ・・・ 実業家平井氏の最も恐れるのは辻堂という執念ぶかい老人。死亡したという話を聞き、戸籍にも志望の届けがあったとされていたにもかかわらず、平井氏の行く先々に辻堂が現れる。神経衰弱になったところをある青年に話をすると、すぐに謎が解けた。明智小五郎登場。のちの通俗長編のイントロの先駆け。チェスタトンの変奏。これはうまいやり方(21世紀には通用しない)。

盗難 1925.05 ・・・ 新興宗教の雑用をしていた男の告白。教会を改修するために寄付金を募り1万円を集めた(今日価値だと1万倍くらいか)。それを盗むという予告があり、警備に来た警官が持ち去ってしまった。届けても見つからず、改めて寄付金を募る。しばらくして警官が的屋になっているのを見つけ、「真相」を聞く。でも、その解釈だけではないらしく、真相をつかめない。のちの「陰獣」の先駆け。

白昼夢 1925.07 ・・・ 人だかりの中で妻を殺したと自白している半狂乱の男がいた。観衆はゲラゲラ笑いながら聞いている。これがその妻ですと死蝋を見せる。するとどっと沸く。「私」は皮膚に産毛が生えているのをみて戦慄する。ひとりだけ「真実」を知ってしまった孤独、群衆の無知の恐怖。

指輪 1925.07 ・・・ 車中に乗り合わせたスリ二人。かつて検札にあって、盗んだばかりの指輪をどこに隠したのか、丁々発止の会話。

夢遊病者の死 1925.07 ・・・ 夢遊病に怯える青年は仕事に就けない。それをなじる父と毎晩喧嘩しているが、今朝起きると父は鈍器で殴られ死んでいた。焦燥と恐怖。オチはシンプルだけど、引きこもりの心理がリアル。

屋根裏の散歩者 1925.08 ・・・ 「江戸川乱歩集」(新潮文庫)のレビューを参照。

百面相役者 1925.07 ・・・ 日露戦争後の思い出話。友人に「××観音まで来たまえ」と誘われて、田舎芝居をみる。なかなかうまい役者が百面相をしていて、感心すると、この近辺で墓荒しがでるといわれる。谷崎潤一郎「白昼鬼語」1917年の乱歩的改作。

一人二役 1925.09 ・・・ 江戸川乱歩「吸血鬼」(角川文庫)のレビューを参照。

火縄銃 1925(1929.07発表) ・・・ 観光地のホテルの離れで、狩猟愛好家の男が射殺されている。ちかくには火縄銃。そこに腹違いの弟が駆け込んでくる。橘という探偵狂が勝手に捜査して、真相を警察の前で披露する。ポースト「ズームドルフ事件」1911モーリス・ルブラン「水びん@八点鐘」1923と構想を同じにする。

人間椅子 1925.10 ・・・ 「江戸川乱歩集」(新潮文庫)のレビューを参照。

疑惑 1925.08 ・・・ アル中でDVの(という言葉はこの時代にはないが)父がある晩、斧で殺された。犯人は家族のだれかではないか。疑惑にとらわれる次男は自分の考えをしゃべらずにいられない。「赤い部屋」の先駆けで、谷崎潤一郎「途上」「私」の乱歩的変奏。これは重要作だと思うが、そういう指摘はなさそう。なんで?

接吻 1925.12 ・・・ 結婚したばかりの男、早々と帰ると、新妻は写真をみてはぼうとしたり頬を赤らめたり。写真を見つけると、なんと自分の上司。腹立ちまぎれに辞表をたたきつけたが、妻の真意とは。「陰獣」と同じように、疑惑にとらわれると、安心できる解釈をもてない。


 「屋根裏の散歩者」「人間椅子」のような有名作は最近別に読んだので、ここではすっとばした。最初期の作品なので、先達の影響が色濃い。それでも30歳前の青年の作でありながら、個性がみられるのはすごい。それにほかのレビューでも指摘したが、乱歩の文章は今でも新しい。
 ついでに指摘すると、乱歩の引きこもりの描写もリアル。引きこもりの原因にしろ、引きこもり中の心中にしろ、他者の視線を極端に恐れながらしかし他人とのコミュニケーションを求めずにはいられないところも。当時の若い読者は、親の叱責を恐れて、隠れて読んだというから(そういう体験を数十年後に告白している)、読者の心情を揺さぶる力を持っていたのだろう。「屋根裏の散歩者」などはそういう引きこもり(傾向のある人をふくむ)のリアルだったのだろう。そのリアルはそろそろ1世紀になろうとしている21世紀前半でも通用している。そこらへんが今でも読まれる理由になっていると思う。