odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

徳永直「太陽のない街」(新潮文庫) 追記2011/7/1  金解禁でダメージを受けた工場労働者の争議。生活組合を作って組合員家族の生活を維持する。

 前日のエントリーで「1920-40年までの経済史を知っておくことは重要」と書いたけど、それにぴったりの記事があったので、ここでアップ。

 昭和5年から10年の間の労働争議。多くの場合は、工場労働者の悲惨な現実と、資本家および為政者の腐敗弾劾として読むことになる。それは作者の主題ではあるが、それだけでは不足している。われわれは、1900年になってからあとの日本経済史をある程度通観しておく必要がある。でないと、作品を現代に読む意味が消えてしまう。
日清戦争賠償金を使用して、日本に産業資本と軽重工業が形成される。
・しかし、当時の日本ではこれらの近代化を育成する条件にかけていた。日本人の多くが第1次産業従事者で十分な購買力をもっていなかったり、工業発展のための研究活動ができなかったり、金融資本が未成熟、近代的な経営家が少ないなど(その他にもいろいろ理由はあるはず)。
日露戦争後は、ロシアの賠償金が受け取れなかったことと、戦時国債の支払い、軍事予算の増加などにより、資本力強化にはほど遠かった(戦争の経済学でいうと、日露戦争は大きな赤字をだした)。一方、国内の農地拡大は限界にあったようで、増える人口を農業は吸収できなかった。1910年代から都市のスラム化=過剰な労働力が産業に吸収されずに都市難民化することが起きている。
松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫) 1920年代の乱歩作品を都市分析のツールにすると、東京の多面性が見えてくる。 - odd_hatchの読書ノート
・1914−18年の第1次世界大戦は、それまでの世界経済の中心であるヨーロッパの生産力や貿易力を著しく落とすことになる。そのため東南アジアからインドにかけて、ヨーロッパが席巻していた市場が空白になり、そこに日本の商品が輸出されていく。これで初めて日本は貿易黒字になり、国内生産力が高まる。
・日本国内に、貿易黒字を原資にするバブル経済が始まる。多数のベンチャー企業が成立する。多くのベンチャーは経営の多角化を図り、自社グループ内に銀行を設立し、そこに利益を集中し、グループ内の新規事業に投資を行う。
・しかし、1920年ころにはヨーロッパは復興し、再度東南アジア−インドなどへの貿易を再開。また、日本と同じ条件で黒字化しているアメリカも世界経済に参入してくる。生産力や品質などで日本は国際競争力を持てず(日本の品質が高くなったのは1950年以降の品質管理運動その他による)、1925年ころにはバブル経済を担っていたベンチャー企業の経営が悪化してくる。あわせてそれらの企業に融資している銀行の経営が悪化する(返済不能の貸付金が増加)。企業は合理化のために、給与カットと人員削減策をとる。
1924年関東大震災の被害と復興のために、経済成長がストップ。
・1927年、政府は銀行不安解消のために救済措置をとるが、失敗。東京渡辺銀行と大手ベンチャー企業の倒産といっしょに、銀行の連鎖倒産が始まり、取り付け騒ぎが発生。
・また政府・日本銀行は古典経済学の教科書とおりの対応として、金解禁を断行(1927年)。しかし、金解禁の前提となる金本位制をヨーロッパ各国があいついで廃止。当初の思惑と逆に、円の価値が下がり、日本の貿易産業が壊滅的な打撃を受ける。一方、三井などの財閥は金解禁直前にドル買いを行い、金解禁後のドル売りで巨利を得る。このあたりから財閥批判が始まる。
・ほぼ同時に、1929年のアメリカの大恐慌が始まり、日本も巻き込まれる。
1920年代の政権をとっていた民政党(当時の民主主義政党)が、陸軍の協力を得られず組閣失敗。
・国内では、ナショナリズム団体によるテロが発生。国外では、満州軍が満州事変を自作自演。恒常的な戦争状態に入る(これを国内の軍部および政府は止めることができない)。
・その後は、戦時経済統制が行われるようになる。経済復興は1934−35年頃に達成(不良債権および不良銀行の整理がこの頃に終了。軍事産業が発展しこれが牽引になってその他の産業が復興)。
という道筋であった(中村隆英「昭和恐慌と経済政策(講談社学術文庫)」、長幸男「昭和恐慌(岩波現代文庫)」など)。
 一労働者としての徳永直には、このような歴史性や経済の問題は見えていない。だから、少なくとも1920年から1941年までの経済・社会史を通観しておくことは必須だろう。上記のようなまとめ(とても強引なものだが)でも、状況理解の一助になると思う。1989年の出来事(東欧革命)でプロレタリア文学は古臭く、黴臭いものになったと考えたら、長引く不況と労働格差のおかげで一周遅れでリアリティのあるものに変貌したと思う(ということを2003年に書いていたら、2008年夏ころから「蟹工船」が売れるようになったとの報道があった。購入するのは20代らしい。その他のプロレタリア文学の再評価になるかしら)。
 こういう社会時評はがらに合わないので作品に戻るとして。自分も馘首されたり、人事異動を行ったりで、この闘争の関係者の言い分はどちらも身にしみる。闘争の過程では、労働者がピケをはったり、人事担当が労働運動の弱い部分を籠絡するとか強迫まがいのことをするとか、いろいろなことが起こります。それは特殊でも個別なことでもなく、戦前戦後の労働争議においてよく行われていたことだった。ただ、この闘争で学べるところがあるとすると、闘争に参加すると労働者のみならず家族にまで被害というか影響が及ぼされる。端的には給与が支払われないことによって、家計を支えることができなくなる。そのときに、彼らは生活組合を作り、それぞれが自分の金を持ち寄って組合の管理にする。組合(当然、家族の中から選抜された幹部)はその金を使って大量購入による低価格商品を組合員に配布するわけだ。家族の中には、妊娠中や乳幼児をかかえて動きのままならないひともいるわけで、彼らを援助する組織として組合が作られる。こういうやり方はたぶん昭和30年代の炭鉱や鉱山の争議にはありえたのではないかしら。というのも、労働者が同じ街並みに住み、家族をひっくるめた知り合い関係ができていたから。労働者がそれぞれ個別に家やアパートをもち分散して住むことによって、こういう生活組合の可能性が失われていることになる。もちろんこれには弱点もあり、労働者の済む「長屋」を破壊するというとんでもない暴力を資本家が取ることに対抗できないこと。労働者のみならず家族もろともその場所からいなくなることによって、運動は壊滅する。戦前であればこの国でもアメリカでも起きた事態。2003/08/01

 自分が読んだのは新潮文庫だけど、今は品切れ。別の出版社ででているものを紹介しておきます。

徳永直「太陽のない街」→ https://amzn.to/3xmPTyR https://amzn.to/3VQdHoZ

【追記 2011/07/01】
著者名を「徳川直」と誤っていました。修正しました。