odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

黒岩涙香/小酒井不木/甲賀三郎「日本探偵小説全集 1」(創元推理文庫) 学生や貧乏サラリーマン向け日本のモダニズム文学は謎解きよりも人間心理の暗黒面(無意識、情動)に関心を持つ

 1984年刊行の日本探偵小説全集はあと3巻で完結する(という書き出しで感想を書いたのは1986/10/29のこと。完結したのは10年後の1996年。以下ほぼ書き替え)。文庫で手軽に戦前の探偵小説を読むことは、江戸川乱歩横溝正史の大御所を除くと、ほとんど難しい状態だったのだ。個人的に1970年代を回想すると、講談社で「黒死館殺人事件」、ハヤカワポケミスで「殺人鬼」、春陽文庫で「鉄鎖殺人事件」、角川の夢野久作新青年傑作選5巻、現代教養文庫小栗虫太郎夢野久作久生十蘭牧逸馬の選集。別冊幻影城で何人かの特集(黒岩涙香小酒井不木など)があるくらい。あれ、思ったよりもたくさんあるな。まあ、ガキの小遣いでは高額過ぎてなかなか買えなかったひがみもあるのだろう。
 まあ、この文庫の成功と著作権保護期間の終了によって、平成以降はだいぶ状況は改善してきたと思えるが、すぐに品切れ・入手困難となる。とはいえ青空文庫のボランティアの活躍により多くの探偵小説はネットを介して読める(かわりに、2000年以降には、昭和20-40年代の探偵小説や推理小説が入手困難になってしまった)。
 この文庫、壮観、というしかないな。これを集めることによって、それまで「探偵小説百科」「ミステリ百科事典」などでタイトルのみ知っていた作品を実際に手にすることができるようになったのだから。ここは重要。読むことができてはじめて評論家など先達の評価をうのみにするのではなくて、自分の評価をつけることになるのだ。しかも一冊800ページ超え。このずっしりとした重さもまた当時としては驚天動地のできごとだった(これほど厚い文庫は当時は講談社学芸文庫の辞書くらいか)。
 戦前の探偵小説の印象を記しておこう。
・探偵小説がいわゆるエンターテイメントとして確立したのは1920―30年代で、しかもヴァン・ダインやクイーンらの圧倒的な影響下でかかれたものだ。ただ、アメリカの「本格」派が謎解きを純粋化する方向でミステリを書き進めていたのに対し、日本では人間心理の暗黒面(無意識、情動)への興味を大きくしていったので探偵小説はミステリとは同義にはならなかった。たぶん読者が合理主義や論理の一貫性などに慣れていなかったのがひとつの理由だな。本格志向の「新青年」でも、犯罪小説、落ちのあるコント、変態心理小説が要求されていたのだし。
・探偵小説は大正―昭和のモダンな都市を描いていることに大きな魅力がある。それもすでにあげた大作よりも小品、短編に書かれたほうが面白い。そのころ、東京はモダンだった。新しいものが常に生成しており、漱石のような知的金持ちだけでなく、書生のような貧乏人が遊歩人(フラヌール)として年を徘徊する。雑多で猥雑で混沌とした都市。そういう都市の雰囲気をフラッシュのような描写で、探偵小説は書き込んでいった。まあ、よくいわれるように探偵小説は欧米のようなブルジョア、インテリ、ジェントルマンの読物ではなく、学生や貧乏サラリーマンの読物として書かれたということだ。
 まあ他にもいろいろあるが、それぞれの作品の中にいろいろ書いているので、それを参考にしてほしい。
 あと、重要なこととして、これらの戦前探偵小説を読むに当たり、1920-40年までの経済史を知っておくことは重要。第一次大戦後のバブルや震災の影響は「押絵と旅する男」と切り離せないし、それ以後の定期的な不況を知らないと高等遊民の自堕落さは理解しがたいだろうし、515事件以後の軍人政権とその経済政策を知らないと軍人がなぜ頻繁に登場するようになったかも見えてこないだろうし。


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 紹介は1巻だけだが、全部読むべし。後、初出時の挿絵、作者の文章を採録しているのが魅力的。乱歩「陰獣」、坂口安吾「不連続殺人事件」はほかの文庫では味わえない面白さを楽しめた。

2017/09/13 甲賀三郎「日本探偵小説全集 1」(創元推理文庫)「琥珀のパイプ」「支倉事件」ほか
2016/07/27 江戸川乱歩「日本探偵小説全集 2」(創元推理文庫)「化人幻戯」 1954年
2020/06/09 夢野久作「日本探偵小説全集 4」(創元推理文庫)「瓶詰の地獄「氷の涯」「死後の恋」「爆弾太平記」 
2019/09/2 大下宇陀児「日本探偵小説全集 3」(創元推理文庫) 
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2019/09/09 浜尾四郎「日本探偵小説全集 5」(創元推理文庫)-1短編 1929年
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2019/07/29 久生十蘭「日本探偵小説全集 8」(創元推理文庫)「湖畔」「昆虫図」「ハムレット」他 1937年
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