odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

中島河太郎編「君らの狂気で死を孕ませろ」(角川文庫)

 1977年に角川文庫で雑誌「新青年」で発表された短編を集めたアンソロジーが5巻発行された。赤い背表紙で5冊並んでいる姿にあこがれたなあ。すぐさま絶版になり、1990年以降は古本屋で高値をつけていた。そのうちの3冊が2000年に復刻された。しかしすでにこちらも品切、絶版の模様。
「死体昇天」新青年 1929.08.角田喜久雄 ・・・ 北信州の冬山で淺川が遭難する。その直前、彼を憎む幸次が淺川と遭遇していた。淺川は幸次の水筒を持っていた。容疑が自分にかかるのではと幸次は恐れていたが事件の一年後に、事故現場の警察署長から出頭命令が届く。瑕疵はいろいろあるけど、発表当時ならこんなものか。
精神分析新青年 1928.06.水上呂理 ・・・ 唯物論者の翠川にはとある結婚話がもちあがっていたが、おかしな事件がおきてうやむやになってしまう。どうにかこの結婚をまとめたい母が動くが今度は、部屋の女中が自殺未遂騒ぎを起こし、妹もふさぎこんでしまう。そこに精神分析者の青柳が登場して、事件の謎を解く。木々高太郎「就眠儀式」に似た物語であるが、こちらのほうが早い。化学者でもある作者の処女作だが、小説は素人の域をでていないなあ。
「人間灰」新青年 1934.12.海野十三 ・・・ 液体窒素の研究をしている工場では、西風が吹くとき、必ず失踪者が現れた。その日も強い西風が吹き、工員は早々に引き上げる。残ったのは社長とその若い夫人。深夜、夫人は失踪し、たまたま湖にいた男は冷たい霧雨にうたれた後、血まみれになった自分を発見する。「また帆村 少々無理な 謎を解き」というよく引用される川柳に登場する帆村探偵の冒険譚。これはプロの作家の小説なので、気持ちよく読める。
「睡り人形」新青年 1935.02.木々高太郎 ・・・ 「僕は睡眠について徹底的に研究した。その結果、ある種の炭素化合物が人間の睡眠中枢に働きかけることを発見したのだ。この物質はごく少量で使うならば安価な睡眠薬になるんだが、量を間違えると大変なことになる。ああ、僕はなんと恐ろしいものを発明してしまったのだ」というマッド・サイエンティストの絶叫が聞こえてくるようだ。恋愛と社会経験に乏しい中年科学者が若い娘に目をくらませてしまったことの目くるめく快楽と、地獄に一直線に向かう破滅。それはなんという深い陶酔をもたらすものか!
「秘密」新青年 1926.10.平林初之輔 ・・・ 成り行きで結婚した男のもとに、4年前に別れた女から約束を果たしてという手紙が届く。たしかに彼は手紙の女と結婚の約束をしていたのだ。妻を欺いて東京駅に向かう男は妻によく似た女を見つける。妻への疑惑がまし、手紙の女は奇妙なことをいいだした・・・ という具合に自尊心の高さと猜疑心の強い男が思い込みから破滅していく。背景を説明する文章がくどくて長いので、緊張が続かないが、ラストシーンの怒涛の展開はみごと。
「四次元の断面」新青年 1936.04.甲賀三郎 ・・・ 妻を殺したと自首した男は公判で前言をひっくり返した。警察の捜査がお粗末だったので、無罪になる。しかし、妻は不倫していたのではないという疑惑にとらわれる。シニカルな結末。彼は死にたいと願うが、死ぬことを選べないだろう。
「閉鎖を命ぜられた妖怪館」新青年 1927.04.山本禾太郎 ・・・ とある弁護士、デパートの過失致死事件で頭を抱えている。女が屋上から転落して、路上の男を巻き添えに死んでしまったのだ。彼のお化け屋敷好きとカメラ好きがいろいろな偶然で事件の解決に結びつく。って、そんな都合のいい話があるものか、プンプン(笑)
「陰獣」新青年 1928.08.〜10.江戸川乱歩 ・・・ この高名で優れた作品はひとつの記事にしたいので、ここでは省略。

 専業作家とは呼びにくい人もいて、まだまだ語り口がぎこちない作品が多い。文章もストーリーも洗練されていている人は本当に少ない。そういう人はいまだに読み継がれているのだが、そうでない人はこういうレトロ趣味のアンソロジーでないと読みにくい状況になった。とはいえ、青空文庫などの電子テキストで著作権切れの作品は読めるようになっている。
 さていくつか気付いたこと。
・ほとんどの作品が都会を舞台にしていること。この都会は、たとえばヴァン・ダインやクィーンの発見した都会(経済発展の象徴、最新科学技術の結集、自立したエリート・テクノクラートブルジョアのいるところなど)とは相当に異なっている。この国の初期の探偵小説家が見つけた都市は、無計画に勝手に増殖する建物、隣人の挙動も知れない個の集まり、経済発展の流れに乗れなかった人々の集積、怨念とか陰謀とか欲求不満などの負の気分が横溢しているところ。日常生活の挙動に外れた行為をすると、こういうなにか得体のしれない感情や気分などが強く吹き出してくる。それに打たれると、人は神経質になり妄想を膨らませていくのだ。探偵は、事件の謎を解くよりも、事件に関係した人々の感情や無意識なんかを説明するカウンセラーみたいな役割をもっている。ときにはカウンセリングも失敗することもあり、そういう人の不安はますます高じてしまう(「陰獣」「秘密」「四次元の断面」など)。
・ほとんどの小説が夫婦関係を主題にしている。多くは恋愛結婚(というよりも男からの熱心な求婚による)なのに、数年もすると熱が冷めるか相手に不信を見出すか。上記のような都会の神経質さや隣人への不信感というのは、当時の夫婦という制度に最も強く反映していたのかしら。イギリスの同時代の探偵小説だと、どんと構えた大きな一家が舞台で、財産相続に端を発して家族間に不和が発生するというものだったのと違っている。