odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

江戸川乱歩「蜘蛛男」(創元推理文庫)

 美術商の稲垣兵造が開いたオフィスを借り、問屋に電話して什器他をそろえる。この急造の会社の募集広告に応募してきた18歳の女性を採用した。仕事を教えると都会に連れ出した。数日後、彼女は空き家の浴槽で惨殺される。死体は切断され、石膏でコーティングされて衆目にさらされる。彼女の行方を調べようと姉が稲垣に接触するが、江の島の水族館で死体が水槽に投げ込まれているの見つかる(ここまではのちのブロック「サイコ」のストーリーと一致)。なぜ彼女らが選ばれたのか、それは稲垣の好みの顔と容姿をもっているから。そのうえ、この男はほかに49人の女性を誘拐して監禁したいという倒錯した狂気の欲望を持っている。そこでついた二つ名は「青ひげ」(冒頭で「残忍酷薄で薄気味の悪いこと」から「蜘蛛男」とも呼ばれた)。

 膨大な金を持ち、女性に憎悪と敵意をむき出しにする青ひげに挑むは、畔柳博士。神経質で癇癪持ちの奇矯な犯罪学の研究家。事故にあったのか義足をつけていて、ときに転びもするのがご愛敬。助手の野崎青年に事細かに指示するが、どうにも青ひげこと蜘蛛男の知恵にかなわない。
 さて、青ひげの次のターゲットは人気女優・富士洋子。トーキーになるのは1931年の「マダムと女房」からなので、この時期は無声。スタジオは蒲田にあったがときには周辺へロケにもでかけたようだ。誘拐予告が出たので、博士と警官が監視していたが、まんまとだしぬかれてしまう(暴漢に襲われるのをロングで撮影していたので、見分けがつかない)。機転を利かせた助手のおかげで富士洋子を取り戻したが、つぎは撮影所内のセットでの誘拐。博士も監視していたというのに、ごちゃごちゃしたセットと大道具のおかげで警官や博士は迷子状態になっていたのだ。このあたりの映画会社の風景は当時最新のモードであり、職業だったのだろう。この場面を長く描写したのは、読者の欲望に合致していたから(雑誌「新青年」も探偵小説と映画の話題が中心だった)。さて、富士洋子は誘拐され、博士も負傷療養中というときに、外国(たぶん中国か南方)から帰国したばかりの明智探偵が登場。一連の不可能犯罪をあっと見事に解き明かす。
 ここに至って青ひげと警察の関係は逆転し、必死に逃げる青ひげを追いかけるチェイス・アンド・アドベンチャーになる。青ひげの手に落ち重傷をおって苦悶するのを見て富士洋子が憐憫を感じるというストックホルム症候群が挿入され、最後には青ひげの欲望の現れである大パノラマ館がつくられる。お披露目には新聞記者他が招待され、欲望とフェティシズムの湯池に裸女が踊り泳ぐ。
 「サイコパス」ものの元祖は「僧正殺人事件」と自分はみるが、これはその翌年にでた同タイプのもの。ヴァン=ダインの影響云々ではなく、「ジゴマ」「ファントマ」など連続犯罪映画の系譜にあるのだろう。「サイコパス」ものだと彼らの欲望は理解の外にあるものだが、この「蜘蛛男」の欲望はわかりやすい。その執着や幻想のありかたはさまざまな作品においてみられるもの(「パノラマ島奇談」を嚆矢に)。
 残念なのは、青ひげは明智に対する偏執、自分の都合を悪化させてでも探偵と雌雄を決しようという決意が見られないこと。明智に悔し文は残しても、挑発しない。拳銃の弾が抜かれていても動転しない。青ひげは自分の欲望が大きく、実現の障害になる仇敵を侮るか、相手にしていない。そこがクライマックスのチェイス・アンド・アドベンチャーの盛り上がりを不発にしている。「吸血鬼」「人間豹」、「黒蜥蜴」のような探偵とサイコパスの相思相愛の感情が生まれなかった。ここはすごく残念なところ。
 昭和4年1929年から翌年にかけて「講談倶楽部」に連載された。講談社は書き直しを命じないし、原稿料が高いから、このあとほぼ専属になったとは乱歩自身の言(おかげで「新青年」が凋落)。素直でよろしい。通俗長編としては「孤島の鬼」に続く第2作で、明智小五郎の初登場作(もはや無銭の高等遊民ではなく、スーツを着こなした紳士である)。のちの長編ではストーリーがグダグダになることが多かったが、これはすっきりとしている。ただ後半になると、講談調の紋切り型の文章になって、疲れ気味。いくつも仕事を抱えていたころだから仕方がないか。