odd_hatchの読書ノート

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日高敏隆「動物にとって社会とはなにか」(講談社学術文庫)

 これは名著。著者40代に書かれていて、文章は清冽かつ意気に溢れ、慎重でありながら、ときには学問の領域を逸脱し的確なところで矛を収めている。見事。
 内容の検討の前に、気をつけなければならないことをいくつか。主題は動物の社会であって、「社会」という語のあいまいさ、というか多義性から読者は間違った読みをしてしまう可能性がある。ここには多くの種の行動が書かれていて、昆虫から哺乳類へと進んでいるのだが、あくまでそれは個々の種において成立していることなのだ。読者の犯しやすい間違いは、擬人化(○○という行動は××人と同じである)、比喩(○○という行動の意図は××のようだ)、過度な一般化(この種の○○という行動は生物全般にみられるものである)、特殊な事例を普遍化すること(同前)、個々の政策の妥当性や批判の根拠を動物の行動事例に求めること、個別事例からの体系化。この種の間違い理論を構築することを、一時期の自分もやらかした。動物行動学や動物心理学の危うさはこのあたりかな、あまりに組織や国家の運営に似ているので、上記の間違いをやらかす可能性が高い。とりわけ哲学的な思考を好む素人に起こりやすい。そういう事例はネットにおいてよく見ることができる。
 とりあえず「社会」を本書のとおりに「同種の動物の種個体群にみられる個体間関係の全体」と定義してみよう。ほら、この定義を妥当としてみたら、人間の社会や国家とは相当に異なる幅の広い概念であることがわかるだろう。安易に動物の「社会」を現在の政治や経済に結び付けてはならない。
 以下、章ごとに著者の主張をまとめてみる。
1.代表なき集団 ・・・ 種を代表する典型的な個体は存在しない。雌雄で形態が異なるし、生活史において形態を変える種はたくさんある。一体だけでは種は存在しない。種個体群がなければ種は存在できない。しかし、種個体群は目視できるものではない。
2.汝、姦淫することなかれ ・・・ 種において生殖行動は重要であるが、そこには個体認識の規制がかかっている。異種間の交雑がないようにしている。
3.「存在と無」 ・・・ 交雑する前に、さまざまな行動が行われている。その行動の規範に則った場合に始めて交雑が可能になっていて、それが社会関係になっている。
4.今よりのち、主にありて死するものは ・・・ とはいえ、個体の増えすぎは種個体群を滅ぼすことになりかねない。そこで、多くの種では増えすぎを回避する社会関係が存在している。生殖行動の低下、産卵数の低下、移動など。事例は原生動物や昆虫にみられるやりかた。
5.悪のパラドックス ・・・ ここでいう「悪」はコンラート・ローレンツが報告した同種間の攻撃、殺し合い。通常は個体の殺戮までには至らず、テリトリから排除するにとどめ闘争を回避する抑制機構がある。殺し合いにいたるのは個体群数が過剰になったときの特殊な場合。そのような場合においても、動物が「モラル」を逸脱したと解釈するのは誤り。一方、同種個体間の殺戮は動物の普遍的な性質などというのも誤り。
6.永遠にブロンドを守るために ・・・ 哺乳類になるとさらに複雑な機構が存在している。つつきの順位性やハレムなど。増えすぎを抑制するのは種外の影響によるもの(捕食者や寄生者の増大、伝染病、飢饉など)と、種内のさまざまな社会制度にもとづく繁殖の社会的抑制、一部の個体の「生存停止」処置、その他。通常は外部の力が働く前に、種内の抑制機構が先に働く。これによって、種が維持されるようになる。
7.ふえ且つ増して地に満ちよ ・・・ 人間の場合はどうか。どうも、動物のもっている社会的抑制機構は働かないのではないか。人間の性衝動は非常に強くて、メスにもオスにも性衝動を回避する本能はない。個体数と調整する機構として種内にあるのは戦争くらい。ここでも、過度な攻撃を回避・抑制する機構は存在しない。どうやら遺伝的・本能的な個体数調節機構はないらしい。
 だから、といってその他の動物の社会関係から得られた概念をそのまま人間にあてはめて、政策やモラルにするのはいけない。そこは慎重にならなければならない。というのが著者の主張。

  

コンラート・ローレンツ「攻撃」(みすず書房) - odd_hatchの読書ノート