odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ジャン・ラマルク「動物哲学」(岩波文庫)-1 著者の主張は、複雑なものから単純なものへ堕ちていく当時の見方のコペルニクス的転換と、多分枝の分類体系。生命の変化に関する説明は、付け足しみたいなもの。

 ラマルクの「動物哲学」全3巻は1809年に上梓された。あいにくパリの博物学者としては不遇であり、この浩瀚な書物も同時代では評価されなかった。のちに「ラマルキズム」として再評価・復活させたのは、解説によるとエルンスト・ヘッケルであるという。そして「獲得形質の遺伝」というアイデアは20世紀にさまざまな追随者を呼び、おもにニセ科学、トンデモ治療の推進者たちに利用されたのである。とはいえ、条件を厳密にコントロールすることにより、獲得形質の遺伝は存在することが21世紀の研究であきらかになった。ただ、分子遺伝学の成果などを根拠にする総合学説では進化の主動因に獲得形質を認めることはないので、注意すること。
 さて、18世紀後半の西洋科学を素描するのは困難で、むしろ荒俣宏「目玉と脳の冒険」筑摩書房や「大博物学時代」(工作舎)、「図鑑の博物誌」(工作舎)をひも解く方がよい。高校時代の記憶あたりを含めて記述すると、ラマルクの研究の背景にあるのは、博物学研究で世界中の動植物の標本が集まり、種の多様性と変異に注目が集まった。海洋生物に注目が集まりだし、無脊椎動物への関心が高まった。リンネの植物分類と命名法が一般的になったが、その恣意性や人為性に批判が集まりだした。生理学につながる実験が始まり、生物=機械論が生まれる一方、生物の自然発生(無生物から生物が誕生)が承認されていた。地質学研究があり、地層の斬新的な変化の証拠があり、絶滅した生物の化石が見つかった。だいたいこんな感じか。博物学では、人間から猿、哺乳類、鳥類……単細胞生物、無生物へとつながる「存在の大いなる連鎖」という考えがあって、神の模倣として誕生した人間が地上の万物の最上位であるとされた。この考えと上記の博物学や生理学、地質学の最新知見は相性が悪く、どうにか折り合いをつけたいところだった。そのような生物学の知の「革命」が必要と思われていて、時はフランス革命のさなか。渦中にあったのがフランスの国立植物園。先達ビュッフォン、園長キュビエと一研究者ラマルクが主要登場人物。脇はリンネとエラスムスダーウィンが固める。

 「動物哲学」は第1部「動物の自然誌」、第2部「生命の理学的根源」、第3部「感覚の理学的根源」からなる。哲学というタイトルがついていることからわかるように、博物学と哲学を統合して、自然哲学を確立することだった。フランスの啓蒙主義(解説によるとラマルクは若い時期にルソーの知遇を得たらしい)は、神の存在を否定はしないが(一部には無神論者がいた)、世界の出来事は合理的・論理的に説明可能と考えた。そこで、生物の多様性や変異、絶滅した生物の存在を神なしで説明し、さらには人間の感覚や感情までを「科学」の言葉で語りたいということになる。これは現代の科学や学問のあり方とは違っている。なので、「動物哲学」を読むときに、ラマルクの「哲学」の体系化という意図を十分に承知しながら読むべきだろう。
 なにしろ、19世紀初頭の科学であり、この本には、遺伝学(メンデルはこの50年後)、生態学(方法が確立して学問分野になったのは20世紀にはいってから)、分子生物学(狭義には第2次大戦後)がない。生命の自然発生の否定はこの50年後であり、発生学の研究は初期段階。なので、個体と個体群と遺伝を無視している。21世紀のわれわれが「常識」とみなすさまざまな知見はまだなかった時代の話なのだ。事実の誤りや論理の飛躍、正当化できない解釈などは、ほぼすべてのページにある。誤謬を指摘するような仕方だと、読み進められない。なので、ラマルクの時代の知識を使って、ラマルクが考えたように「動物哲学」を読まねばならない。
 まずは総題と目次。

「動物哲学
 動物の自然誌に関し、その体制及びそれから得る能力の多趣相に関し、それらの生命を保持し,而して,それらが営む運動を生ぜしめる理学的原因に関し,尚ほ、或は感覚を生ぜしめ,或は智能を有するものにそれを生ぜしめる理学的原因に開する諸考察の叙述 序,緒論及び第一部」

「序
 この著作の主想、及び、此処で取扱ふ間題に閲する概見。
緒論
 動物の研究、及びその鐙制、特に最も不完全な動物の髄制の研究から得られる興味に開する若干の全般的考察。
第一部 動物の自然誌、諸動物の特性、類縁、体制、配類、分類及び種等に開する諸考察
第一章 自然の成生物に開する人為的の諸手段
 形式的配頻、綱、目、科、属及び名称は、如何に人為的手段に過ぎないか。、
第二章 類縁の考察の重要なること.
 既知の自然の成生物の間の類縁の認職が、自然科学の土台をなし、動物の全般配類の確固性を與える所以。
第三章 生物に於ける種に就て、並びにこの語に附興すぺき観念に就て
 種は自然と同様に古いものであり、何れもの種が、同様に古くから存在したものであるといふことの真実ならざること。これに反して、それらは逐次的に形成されたものであり、比較的に恒常的であるに止まり、一時的に不変であるに過ぎないといふのが真実であること。
第四章 動物に開する全般的見解
 動物の行動は、刺戟された運動によらねば実現せず、外部から伝えられた運動或は衝動によっては起らぬこと。刺戟反応性のみが動物に全般的なものであり、これは動物に限られたものであり、その行動の根原であること。そして、総ての動物が感覚により、叉意志による行動をする能力によって、行為を管むといふのは、真実でないこと。
第五章 動物の配類及び分類の現状に就て
 動物は、実際には、大きな群に限って、体制の複雑を増す構成と一致する一つの順列に配位されること。諸多の動物間に於ける類縁の認識は、それによって独断が排除されるので、この配類の建設を導くこの出来る唯一の指針であること。最後に、この配類に設定さるべき綱を分ける分割線の数は、体制の諸多の様式が知られて来るに従って正しくなるもので、この配類は、現在は、十四箇の動物の研究に甚だ便
利な、明らかな綱を表はして居ること。
第六章 動物鎖列に於て、一端から他端に、最も複雑なものから最も箪純なものの方に進むにつれて見られる、体制上の遞降及び単純化
 慣例に従って、動物の鎖列を、最も完全なものから最も不完全なものの方に追って見ると、体制の発達に、遞降と単純化とを観察するのが確実な事責であること。従って、動物の段階を反対の方向、即ち自然の序次そのものの方向に追躡(ツイジュウ)すれば、動物の体制の複雑を増す構成が見出され、その構成は、棲息地の環境傑件、生活様式、其他が種々の異常を生ぜしめなければ、到る処で小差を以て移り行って居り、規則正しいものであること。
第七章 動物の行為及び習性に及ぼす環境条件の影響と、それらの生物の体制及び諸部分を変更する原因としての行篇及び習性の影響とに就て
 環境像件の多様なることが、動物の盤制の状態、全髄の形態並びに諸局部に以下に影響を及ぼすか、次いで、棲息する環境の条件、生活様式、其他に起る変化が、動物の行鴬に如何に変化を来たすか。尚ほ、動物の何れかの部分の、習性的となった頻繁な使用が、如何に、それに比例して、その部分を発達せしめ、大となし、これに反して、他面に、この変化が、より頻繁でなく使用され、叉は全く使用されない、何かの他の部分を、如何に発達せしめず、小となし、終には消失せしめるに到るか。
第八章 動物の自然序次に就て、並びにその全般配類を自然の序次そのものに一致させるために動物に輿ふべき配位に就て
 一の順列をなす動物の自然的の序次は、自然の序次と一致させるために、体制の最も不完全にして最も簡単なものから始め、最も完全なもので終らしむべきであって、その理由は、それらを存在せしめた自然は、それらを全部一度に成生したのではないからであること。それらのものは漸次に形成されたものであるので、自然は必然的に、最も簡単なものから始めて、最も複雑な体制を有するものは、後に至らなければ形成し得られなかった。故に提示する配類は、自然の序次そのものに最も近いものであることは明白であって、もし、この配類に訂正を加ふべきであるとすれば、細目に於て存するに過ぎない筈であって、例へぱ、実際、私は、浮遊水螅類(スイシルイ)が綱の第三目を、浮遊水螅類が第四目をなすべきであると思ふ位のものであること。
第七章及び第八章に開する追補」

 19世紀の科学書はこういう形式で書かれていた。そこに戦前の旧字旧かなが使われるので、読みにくさはます。章のあとに、梗概が書かれているのも、古くからの慣例(中世文学がこういう書き方)。それを読めば、全部読まなくても著者の主張を確認することができる。
 この第1部でラマルクが意図したのは、ふたつ。
 まず、「存在の大いなる連鎖」に見られる生物観のひっくり返し。すなわち、生物の完成形は人間である。そこから器官や能力を消失、脱落していったのがその他の生物で、消失や脱落の多いものほど劣等な生物。だから哺乳類、鳥類、爬虫類、魚類、軟体動物、昆虫……という順番でランクが下がり、最後に無生物にいたる。そういう複雑なものから単純なものへ堕ちていく(これを遞降(ていこう、degradiation)という述語で説明)のが当時の主流の考え方。ラマルクはこのような順列をコペルニクス革命的に転倒する。すなわち、生命は単純なものから複雑なものに変異した。環境の変化が動物の必要を生じさせ、器官や能力の使用/不使用で体制(ほぼ形質の意味)が変化したのだ、と主張する。この主張のもとになるのは、動物、特に海洋の無脊椎動物の研究(リンネ、ビュッフォン、キュビエらは植物の研究をベースに分類学や系譜をつくっていた)。
 そして、動物の分類体系を新たにつくりかえること(「動物哲学」第1部の大半は、分類体系の説明に費やされている)。それまでは「存在の大いなる連鎖」のように一筋だけがあるというのがそれまでの考え方であったが、ラマルクは多肢であることを主張する。「第7章及び第8章に関する追補」で、この考えと分枝した順列が提案される。
 このふたつがラマルクのやりたかったことで、評価されたかったこと。
 生命の変化に関する説明は、付け足しみたいなもの。しかし、後世の科学者や科学史家はラマルクの言いたかったことはスルーし、重要ではあるが未整理な「進化」と「獲得形質の遺伝」に可能性の中心をみた。

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2016/09/14 ジャン・ラマルク「動物哲学」(岩波文庫)-2 1809年 に続く。