奥付とカバーを見て記憶をたどると、高校2年の夏に川越の紀伊国屋書店で購入したのだった。クラブの練習を終えて帰宅する途中で、部活仲間と立ち寄った際に買ったのだろう。白星ひとつの100円、パラフィン紙のカバー。たしかその夏休みに読んだのだったか? 爾来、紙はだいぶ茶色く変色し、活字も古いものになった。
自らの年齢が作者の年齢(地獄の季節は1873年、著者19歳)に近いときに読んだのだが、そのときこの詩句は自分の心に触れなかった。どうにも晦渋で、支離滅裂な言葉の羅列だと思ったのだ。例のAは黒云々という音に色を見るという有名なところくらいが、耳に残るくらい。最後まで活字をトレースしたという記憶だけが残る。
このたびは通勤途中で読もうということで採用した。そうしてみると、浅はかな理解であることは十分に承知したうえでいうと、19歳の少年の焦燥感や憤怒、現実嫌悪、脱出願望、そういうことどもがとても身近で共感あるものになった。なるほど、これは著者の詩的自伝ということになる。自伝を書くにはあまりに若いのであるから、こうして抽象的・象徴的な語句のほとばしりになるのだろう。当時のパリはナポレオン3世の共和制だったかな、自然主義文学(モーパッサンとかゾラなんか)が主流で、パリ万博で資本主義と科学技術が宣揚され、オッフェンバックがはやりだしたころ*1、エッフェル塔の建築が始まりだしたころ*2、ではなかったかしら。いわば国家全体が俗物化していたわけで、そんなことに違和感のある孤独で社会不適応な少年の悲痛な叫び。彼のイメージにあるのは、当然のことながら現実のパリではなく(当時の風景をベンヤミンなんかが懐かしむ時代がいずれやってくるのだが)、「海」「沙漠」という場所。具体物のない、抽象化された無の空間。豊穣さから限りなく離れた非生産空間。(ゴダールの映画「気狂いピエロ」でも最後に自爆死する青年はことあるごとに「地獄の季節」を読んでいたのを思い出す。彼の心理空間もランボーのイメージと同じだったのだ。)
実際、ランボーはヴェルレーヌと非生産的な性愛にふけるわけだし、20歳を超えたらアデン・アラビア(50年後にポール・ニザンがこの題名の小説を書く)で隊商を生業としたわけで、ここにあるイメージを現実にしてしまったわけだ。だからこれは彼の自伝でもあるし、未来を予言するものでもあった。
小林秀雄の翻訳は戦前のおそらく彼の30代、もしかしたら20代に行われたもの。この翻訳は、今では誤訳が多い、意訳が多い、など問題が多く指摘されている。この版は戦前から戦後の一時期によく読まれていた(らしい)のだが、今ではこちらよりも集英社文庫やちくま文庫のほうで読むことになるのだろう(新潮文庫の堀口大學訳はどうなのだろう)。とはいえ、個人的には一人称を「俺」と訳し、漢語をたたきつけるようにおいていき、尋常でないテンションを維持するこの訳のほうが、上記のようなランボー像に近いと思うのだ。
また見つかった
何が――――永遠が
海と溶け合う太陽が
この一節の訳業だけで、俺にとっては不朽だ。
でもねえ、2011年7月のNHK教育テレビの幼児番組「にほんごであそぼ」で、今日の名文にとりあげられたんだ。どうもなあ。「なんだかなあ」と「汚されちゃった」の間あたり(笑)。
あと、小林秀雄の評論はお勧めしない。
小林秀雄「モオツァルト」(角川文庫) 音楽を聴くより音楽について書いた本を読むほうが理解に至る、という戦前の主張。 - odd_hatchの読書ノート