文芸評論の仕事の方が有名な著者のモーツァルト論。収録された論文やエッセイは昭和10年から30年にかけて書かれたもの。タイトルの論文は1950年に書かれた。解説にあるように、昭和20年代のモーツァルト論としては、小林秀雄「モオツアルト」1946、吉田秀和「モーツァルト」1956に並ぶ。この時代はまだSPの時代。長時間録音はできないから、オペラを聴くこと自体が大変なこと。当時だと、戦前のブッシュ指揮「ドン・ジョバンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」、ビーチャム指揮「魔笛」くらいしか全曲録音はない。アリアのさわりはまた別にあっただろうし、もしかしたらNHKやFENのラジオで聞けたかもしれない。決定的に欠けていたのは、オペラの上演。舞台で歌手が歌い、ピットでオケが演奏するのを見るのは数年に一回あるかどうか。そんな時代。なので、頼りになるのは文献。「ドン・ジョバンニ」を書くにあたって参考にしたのは、キェルケゴール「あれかこれか」、アンリ・ゲオン、ピエール・ジャン・ジューゲらの文章。
「ドン・ジョバンニ」の論を見ると、まずキェルケゴールの哲学が引用され、「ドン・ジョバンニ」が誘惑者であり官能の化身であると指摘される。官能ということからギリシャ劇や中世騎士物語を思い出すが、そういう古典の型としての官能ではなく、モーツァルトは個人の官能を表現しているそうな。その点では同時代のゲーテ「ファウスト」に近しい。この誘惑者の主題は、全編を覆う「死」を背景にしていることが重要。ドン・ジョバンニとレポレロの二重性とか同一性とか、ドンナ・エルヴィラ/ドンナ・アンナ/ツェルリーナの女の欲望と復讐のアンビヴァレンツさとか。作曲者本人については、自己を音楽で表現しながらも、手紙のような文章ではできず、軽薄さと幼児性で時代と周囲の人々の誤解にさらされ、妻ですら理解されなかったとされる。ここらへんが彼の理解。だいたい小林秀雄「モオツアルト」と同じところにいる。違いは、作曲者はオペラの分野で最高の仕事をしているというところ。最後のポリフォニストという評価は目新しい(ふつうはロココの古典派でモノフォニーの作曲者なのだが)。
強烈な自意識と自己主張がないので(小林秀雄の「モオツアルト」だと「俺の話を聞け」という小林の啖呵がぺーじのあちこちにある)、読みやすいかな。とはいえ、情報が古いので、研究者でなければ読むこともあるまい。
むしろ、「ドン・ジョヴァンニ 」(名作オペラブックス)の方が網羅的だと思う。原著がでてから40年は経っているので、最新情報とは言えないけど。