odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ガボリオ「ルコック探偵」(旺文社文庫) フランスの最も初期に書かれた探偵小説のひとつ(1869年)。ありふれた強盗殺人に隠されたフランス革命以来の確執。

 パリのうらぶれた居酒屋で深夜、銃声が聞こえる。駆けつけた警察官のみたものは、3人の男の死体と銃を持った一人の男。容疑者は自分が行ったことだと説明した。誰もがありふれた強盗殺人事件と考えた。しかし、野心に燃える若い警官はその事件の背後に隠されたことがあるのではないかと考える。足を折った警視総監は療養中になったので、代わりを務める代理総監といっしょに捜査を始めたが、容疑者に裏をかかれてばかり。はたして若い警官ルコック氏は犯人を突き止められるか・・・

 フランスの最も初期に書かれた探偵小説のひとつ(1869年)。邦訳の2回めであるが、旺文社文庫が廃刊になったので入手は困難だろう。自分はこの小さい文庫を1979年に本屋でみて、入手するまでに25年かかった。脱線するけど、見つけたのは新宿3丁目の古本屋。ごく無造作に置いてあって、価格も250円。目を疑ったよ。レジでこの価格でいいのと尋ねてしまったくらい。それくらいにどんな古本屋でも見かけられなかったのだ。
 訳者は、前半の警察捜査のリアリズムを賞賛する。たしかにこのような描写はそれまでにはなかったものだ(ドスト氏なんかを思い出すとそうともいえないが)。さすがに書かれてから150年もたった今からすると、この捜査の手ぬるさというかもどかしさは冗長にすぎる。まあ、この種の「科学的」「合理的」捜査は当時は新しかったのだ(たしかに近代警察組織と合理的捜査方法は、ガボリエのちょっと前の時代に確立したのだった。新しい職業を描き、そこに新しいタイプのヒーローを見出すというのはこの小説家の時代意識を感じさせる。この50年後にクロフツが再発見して、ひとつの潮流になった。
 むしろ、訳者が陳腐といった後半のメロドラマのほうがずっと面白かった。ナポレオン失脚後の混乱を舞台にした地方民衆の蜂起、国外逃亡から帰還した貴族の傲慢、それに踊らされる地方郷士の苦悩、ロメオとジュリエットのような報われない愛。舞台はフランス国中を駆け巡り、時にはピレネーを越えたスペインまで広がる。このような歴史状況を忘却しているわれわれにとっては、むしろこちらの伝奇小説のほうが新鮮になっている。「ベルサイユの薔薇」を経験しているわれわれにはこちらのほうが読み応えがありそうだ。
 さて、黒岩涙香は「無惨」で「東洋のルコックになるべし」と若い警官を激励するのだが、どうかしら。確かに職務と国家意識に忠実で、仕事に励むルコック氏の勉励努力は敬服するものの、この事件に見られる観察力と洞察力であれば、ホームズあたりのスーパー探偵に揶揄されるのも無理ないか。一方で、「緋色の研究」「四つの署名」「恐怖の谷」といったホームズの長編は「ルコック探偵」と同じ2部構成、後半は伝記小説というのをなぞっている。長編の形式というか構成が現代化されるのはもう少し後の時代になってからだろう。


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http://www.gutenberg21.co.jp/lecoq.htm
 黒岩涙香「無惨」はこちらで。
黒岩涙香/小酒井不木/甲賀三郎「日本探偵小説全集 1」(創元推理文庫) 学生や貧乏サラリーマン向け日本のモダニズム文学は謎解きよりも人間心理の暗黒面(無意識、情動)に関心を持つ - odd_hatchの読書ノート

<追記2022/5/11> 再読しました。
odd-hatch.hatenablog.jp
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