odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

高杉一郎「極光のかげに」(岩波文庫)

「敗戦後,著者は俘虜としてシベリアで強制労働についた.その四年間の記録である.常に冷静さと人間への信頼とを失わなかった著者の強靭な精神が,苦しみ喘ぐ同胞の姿と共に,ソ連の実像を捉え得た.初版(一九五〇)の序に,渡辺一夫氏は,「制度は人間の賢愚によって生きもし死にもする.それを証明されたように思った」と書いている.」
岩波書店


 著者がソ連の捕虜収容所に行くまでの経歴はほとんど書かれていない。どうやら30代後半に召集され、関東軍編入し、そのまま捕虜となったと知れる。藤原てい流れる星は生きている」では軍歴のある夫は捕虜になり、取り残された妻が二人の幼児をかかえて帰還するまでを描いているのだが、この書物は連れ去られた夫の側の記録になるはずだ。その後、バイカル湖の周辺にある収容所を点々とする4年間を描いている。
 奇妙なことに、といっていいのか、ここに記された著者の心情の移り変わりというのは、だいたいフランケルが「夜と霧」でモデル化したものに似通っている。すなわち、第一段階としてのショック、そして収容中の第二段階である無感情・無関心などなど。著者もまた期限なき牢獄の中にいて、自分がそうなるだろうという短期的な希望(この冬には帰国できるはずだ、あの収容所では帰還準備が始まっているから直にここでも)に裏切られて感情が鈍磨していく。そして解放後に現れる第三段階としての虚脱、不満、不安等々。あとがきによれば帰国後1年間は自分の体験を語ることを徹底的に避けてきた。しかしそれが以前の交友関係を復活させないと気づいてから、この本を書くことになる。書くという行為が神経のリハビリになったのか、その後は立ち直り、文学者か評論家ないし大学教授としての仕事を再開できるようになる。(ふむふむ、トラウマになるような重大な経験をしたとき、たんにしゃべる・書くという行為は有効であるらしい。この本の感想を書くこともたぶん自分の心理的リハビリであるのだろう)。
・著者は軍歴の間に、耳でロシア語を覚えた。そのため最初の抑留所では、通訳および事務員の作業を割り当てられた。そこではロシア人の事務官との間に友情さえ起こり(24歳の独身女性に夕食に誘われたりしている)、ときにタバコや貨幣をもらったりしている。ここらへんは大岡昌平「俘虜記」に似た状況。フィリピンと異なるのは、やはり共産主義国家として生まれたばかりで周辺諸国から嫌われた国であるために、その国民もまた緊張した暮らしをしていること。著者の耳には入らなくとも、粛清や収容所送りはロシアの人びとには知られていたからだろう。あと、物資の不足が捕虜と看守の関係を緊張したものにしている。
・「夜と霧」の収容所ないし「収容所群島」の収容所との違いは、収容された人々が軍人であり、そこに階級の区別が残されていたことかな。事務官に任命されて、身体労働から解放されていたから、旧集団の階級に対する不満というのは聞こえてこない。大岡「俘虜記」だと、そこは重大な問題になっているけど。
・それはソ連がこの収容所を共産主義者の育成学校としてみなしてもいたということにある。著者が書いていることをまとめると、収容所の初期には秩序の維持のために旧集団の階級の違いを利用して規律を確保した。その中から共産主義者になりうる人物を抜擢し(それは労働者ないし農民でなければならない。将校やインテリは対象外)、党幹部養成学校に行かせて、帰還したあとに「革命」を起こすことを求めた。それで幹部になるものが生まれるまで約2年。そういう連中が生まれたら、俘虜の内部で「民主化」「平等化」の運動が「自発的」に起こればよい。そのとき軍の階級による集団は解体され、古い権力者は駆逐され、新しい秩序が生まれるだろう。あとは幹部によるつるし上げや自己批判が内発的に行われればよい。そういう新しい権力が生まれれば、ソ連の政策に興味を持たない「民衆」もおのずとこの熱気に包まれて、階級意識や革命願望を持つようになるだろう。
・というわけで、2年を過ぎたところで、優秀な党員ないし主義者は帰国が許され、それから追ちこぼれた連中は「懲罰大隊」に編入され、さらに奥地の収容所にいくことになる。そのとき著者は事務官としての仕事はなくなり、普通の労働を行うことになる。収容所にいるのは2種類の看守。ひとつは私利私欲のために囚人を利用する連中。囚人の私物を強奪するような破廉恥なもの。もうひとつは地方の党幹部としてノルマとか党のビジョンのために苛烈で厳格な人格を演じようとするもの。あたかもスターリンの第何次五ヵ年計画進行中ということで、そのプロジェクトの遂行と過剰な達成意欲に満ちていたのであった。
・それに連動するかのように、収容所内では捕虜の中で民主運動が活発になる。大声で革命歌を歌う、アジテーションばかりの革命演劇を聞かされる、ここら辺はまあいいか。問題は労働のあとの学習会とか討論会。ここではフランケルの「決して目立つな」「群集に消えうせろ」が使えない。沈黙や無気力は発見され次第、摘発され自己批判とつるし上げを食らうことになるから。これは絶滅収容所とは別の地獄だ。自分で考える時間を奪われ、集団意思(といいつつも単なる熱狂とかパニックとか)に強制的に従うことになる。ついでにいうとこういうソ連の収容所帰りで熱心な共産党員であり続けたという人はあまり聞かないので、これもまた集団的な偏執心理であったのか。この国の復興が早いこと、革命的な気運をこの国の共産党が作れなかったことあたりがおおむねの原因だろうな。
・点描的に国際情勢が書かれる。スターリンによるチトーの非難、社会主義リアリズムによる芸術批判、東欧諸国の粛清や収容所群島化などなど。一方、ドストエフスキー以来知られることになるロシアの一般民衆の底抜けの人懐こさとか人情味、などなど。町をすれ違ったときに、大学卒だということとプーシキンの読者であるということだけでタバコと紙幣をくれたおっさんたちに、著者に親密な友情を示す収容所の事務員たち。
・著者が帰国するのは1949年。初出は1950年。ソ連俘虜記はいろいろ書かれているだろうが、今でも入手が簡単なのはこれくらいか?