odd_hatchの読書ノート

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マックス・ウェーバー「職業としての学問」(岩波文庫)

 1919年に発行されたウェーバーの講義録(この人は1864年生まれで1923年に亡くなっているから、マーラードビュッシーの同時代人)。戦争の敗北、社会主義革命運動の高揚、民族主義運動の開始など、ドイツの社会は混沌としていた。この時代背景を把握していないと、この講義の主題はわかりにくくなるかもしれない。
 最初は、学者の外的要因。独逸では無給の助手で、研究よりも講義の補助に使われる。アメリカでは給与は入るが、研究室の雑用に使われる。いずれも研究者や教育者としての能力を伸ばす環境ではない。でもがんばれよ、というメッセージ。
 次は、学者の内的要因。学者は、自分の研究に対して客観的・合理的な説明を行わなければならない。そこに自分の主張や政治的意見をさしはさんではならない。多くの学問に未熟なものや政治運動を志す人は、学者を教育者ではなく、指導者とみなすことがあるから。そのような社会のリーダーとしての役割を学者は持つべきではない。それは学門の客観性・合理性を損なうことになるから。また、多くの学問に未熟なものや政治運動を志す人は、「指導者」の言辞をもって結論や真理とみなしやすく、学門の変化に気づかずに、誤った知識や主張を社会にはびこらすことになるから。ニーチェの「最後の幸福を得た人」(ツァラトゥストラ)のような矮小な人間を生むことになってしまう。
 というわけでウェーバーの主張するのは、
1)学門は真理を追求しない。
2)学門は価値を明らかにする。
 当時の社会情勢からすれば、彼の批判先が社会主義革命や民族主義運動を目指している学生や教師、指導者であることは明らか。にもかかわらず、いまでも妥当な内容で、むしろニセ科学やニセ学門を主張する人間が後を絶たない状況であるから、当時よりもアクチュアリティがある。多くの学問に未熟なものや政治運動を志す人に関する分析や学門論などは、そのまま有効だ。
 もうひとつ。ウェーバー社会学創始者のような立場にいるだろうが、この講義は社会学に冠する社会学、学者集団に対する社会学でもあって、そういう研究が行われるようになったのは、戦後、というか1970年代以降であることを思うと、先見性に唖然とする。

    

ショウペンハウエル「読書について」(岩波文庫) - odd_hatchの読書ノート
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