きわめて寡作でありながら、どんな長編を書いてもそれが文学史的事件になるという稀有な作家、ピンチョンの若いころの短編集。「重力の虹」邦訳の出版直前にこの短編集がハードカバーで出版されたが、しばらくして絶版。このほど文庫に収録。とりあえず慶賀とする(入手した約1年前時点(2004年)では品切れになっているはず)。
「競売ナンバー49の叫び」を読んだ時もそうだったのだが、個々の文章は明晰ではっきりしているのに、パラグラフが変わると一体何を話しているのかわからなくなる、ましてや全体がどうなっているのかがまるでつかめなくなる。こういうマジックのような文章はこの人にしかあらわれないものなのだろうなあ。(内容をもう覚えていないジョン・バース「旅路の果て」も、そういう幻惑感を味わったような記憶がある)
そうなる理由はたぶんふたつあって、彼の文章には象徴的なあるいは引用的な言葉がひどく巧妙にこめられていて、それを発見するのが難しいということ。この人の博学ときたら、個人で可能であるとはどうにも思えなくて、ギリシャの古典から現代アメリカのスラングまで、エントロピーなどの科学用語から郵便の歴史まで、縦横無尽の引用やひらめきが込められていて、自分のようなものにはどうにも手に負えないということ。
もうひとつは、対象を描く時の視点というか、カメラのアングルというか、目の付けどころ、興味の持ち方というのが一般的な小説の書き方とはずれていて、普通の小説を読む時の約束事がいたるところで破られているということ。そのために、もともと複雑な構造を持つ小説がさらにわけのわからなさを生んでいくことになる。個々の文章の明晰さにあかせて、読み進めることができるのだが、そのために読み落としがずいぶんあるのだろうなあ。高名な「エントロピー」も字面を追いかけているだけでは、その仕掛けを見つけることができなかった。後書きには、この言葉やセンテンスはこういうことを示す、とねたを明かしてくれているのだが、見つけられないことに愕然とするとともに、本当にそうなのと首をかしげたくなるところもあり、何度も読み直すと味の出てくる小説なのだろう。研究者にとっては楽しみの対象であるが、自分にはどうかな。
のろまな兵隊が洪水の後処理にいく「少量の雨で」、少年の成長小説「秘密のインテグレーション」は読みやすい割りに内容が薄く、19世紀終わりのころのスパイもの「秘密裏に」がわけのわからなさですごかった。
トマス・ピンチョン「スロー・ラーナー」(ちくま文庫)→ https://amzn.to/3XQr4Vk
トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」(サンリオSF文庫)→ https://amzn.to/3TPdZdV
ジョン・バース「旅路の果て」(白水ブックス)→ https://amzn.to/4dusta7
<参考エントリー>
2014/04/17 トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」(サンリオSF文庫)
2014/04/16 ジョン・バース「旅路の果て」(白水ブックス)