odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

トマス・ピンチョン「競売ナンバー49の叫び」(サンリオSF文庫) 陰謀論風味の巻き込まれ型サスペンス。趣向や仕掛けをいろいろ解釈できるが全部小説内に書かれていたorz

 ある夏の日の午後、エディパ(オイディプスの女性名とのこと)・マース夫人(夫はラティーノのDJ)はカリフォルニア州の不動産業者大立者であるピアス・インヴェラリティ(これもなにかのもじりらしい)の遺言執行人に指名された。かつて付き合ったことがあるにしても、なんで私なの? このピアスはかつてしょっちゅう電話をかけ、物まねをしてエディパを当惑させていた、なんとも変わった人物。しかも切手の収集家をしても著名人。ともあれ、もう一人の遺言執行人である弁護士と旅を共にすると、行く先々で「トライステロ」と「WASTE」と消音器をつけたトランペットの記号がでてくる。いったいなに?と問いかけても、だれも知らない。エディパもそんなものの存在は知らない。でも、16世紀の古い演劇「急使の悲劇」をみていたら、第4幕の終わりで「トライステロ」の言葉が使われる。演出家を訪れ、さらに出版された本(「ジェイムズ期復讐劇集」。そんな本はたぶんない)を校訂・編集した学者の家に行く。途中、彼女を尾行する何者かの気配があり、また「トライステロ」の言葉を口にすると、それまで好意的だった人々は一様に押し黙ってしまう。そのうち、「WASTE」が国の郵便組織とは別の団体であるような状況証拠もあがるが、そこまで。学者は「トライステロ」が16世紀(脚本の書かれた時期)にできた秘密結社であり、各国政府の弾圧を受けながら、特別な郵便組織を作って維持していて、19世紀南北戦争直前に渡米したとされる。あいにくアメリカの郵便組織は、私人経営だったのを国有化する動きにあったので、WASTEは地下にもぐらなければならなくなった、という確証のない話を得た。ピアスの切手が競売にかけられるが、落札希望者がトライステロの人間かもしれないと示唆を受けて、競売場にいき、ナンバー49の切手が入札されるのを待つ。

 稀代の天才作家で、アレゴリーにメタファーに各種の言葉遊びを展開しながら、高度な読み取りを必要とする作品を書いたピンチョン。この第2作は短いこともあって、早い時期に翻訳紹介された。たぶん、この国でも研究書がたくさんでているだろうが、いっさい無視し、かつ翻訳者の60ページにのぼる訳注もいい加減に読み飛ばして、好き勝手に感想を書いておくことにする。ピンチョンの謎解きゲームに参加したら、泥沼になりそうだしね。
・上にまとめたような表層のストーリーは、ヒッチコックの得意な巻き込まれ型サスペンスだね。なにかの組織が主人公を狙っているのだが、理由がまるで思い当たらない。しかし身の危険はあるわけで、冒険しながら、謎解きをしようとする。「北北西に進路を取れ」みたい。小説の最終場面がオークション場であるところからの類推(ケーリー・グラントが同じオークション会場で絶体絶命のピンチになり、機智で抜け出す)。もしかしたらこの小説はそういうサスペンス&アドヴェンチャー小説の構成を間借りしたのかしら。
・「トライステロ」という秘密結社の設定がおもしろい。この種の著名人が参加しているけど、組織の全貌は解明できないという秘密結社は、西洋のトンデモによく出てくる。それこそテンプル騎士団とかフリーメイソンとかシオン修道会とか。こういう架空の歴史をねつ造し、悦に入るというのは洋の東西を問わずたくさんいるのだなあ。というわけでエーコ「フーコーの振り子」を思い出す。
・「フーコーの振り子」を思い出すもう一つの理由は、この小説の背景には1960年代アメリカのポップカルチャー、カウンターカルチャー、文化産業などが書き込まれていて、それを知らないと意味が通じないところがある。ビートルズからのロックバンド、マリファナLSD、そこから意識の拡大を説くティモシー・リアリー、性の解放からフロイトにウィルヘルム・ライヒなどなど。そこに19世紀アメリカ史に、19世紀イギリスの戯曲と演劇、神学用語などいろいろな知識を暗黙の前提にしている。読者に要求することは多い。
・ここでくらくらするのは、小説のなかに科学用語が説明抜きで登場し重要な役割をしめている(らしい)こと。ここでは「マックスウェルの悪魔」。物理学の説明はwikiなどで確認するとして(でも、19世紀物理学史の重要な思考実験なので合わせて勉強するのがよい)、ここでは有意と無意の情報を自動的に振り分ける「装置」あたりにみておくか。そうすると、このサスペンス風小説にはみえるもの(ヨーヨーダイン社とか上記の本と、WASTEなどのサイン)とみえないもの(トライステロ)の情報が錯綜していて、エディパ自身が情報を振り分けないといけない。世界は情報に満ち溢れ、それは手掛かり・予告・暗示するものであり、なにかの「真実」に到達できるように思える。こういう確信はクイーンにはあるな。「ダブル・ダブル」なんかだと、クイーンだけが情報を整理して「事件」を解決できた。でも、情報がそもそも一連の配慮をもって並べられているのかどうか、有意と無意を判断する基準をエディパが持てるのかという懐疑にまで至る。そうするとこの世界の情報を解く知性を人間は持っているのかということになり、同じような主題のレム「天の声」あたりを思い出す。
・むしろ情報を流出している「主体」(なんぞあるのかねえ)の目的(なんぞあるのかねえ)は騒乱を引き起こすことだけかもしれない。実際に、エディパは冗談好きなピアスが人々を買収しておふざけをしているのではないかと考えたりもする。なるほど「トライステロ」を冗談にしている集団による陰謀だったという解釈も可能なわけだ。
・今度はその逆に「記号」を発見して手掛かり・予告・暗示とみなすものはエディパ一人。エディパの世界の混乱は、エディパの精神に原因があるのかも。彼女はその自覚のないまま、「情報」を発見して解釈しようとしているのかも。彼女と旅を共有する弁護士やかかりつけの精神医は彼女の治療者であるのかもしれない。その成功の可能性のない運動は、狂気といえるかな。なのでP・K・ディック「VALIS」を思い出す。これが納得できそうなのは、「ザ・パラノイド」という子供のバンドがコメディーリリーフで出てくるから。
・困るのは、「急使の悲劇」という5幕の復讐劇が小説内小説として登場するのだが、どうやら「競売ナンバー49の叫び」全体がこの舞台劇の構成に類似しているかもしれないこと。エディパが接触した人物は自殺したり、発狂したり、逃走したりするのだが、もしかしたらそれは「急使の悲劇」の筋と人物に対応しているのかもしれない。エディパ以下、現在の人物は主体などなく、なにかの役割をこなしているだけ?
 というような複数の解釈を考えることができ、それぞれに正当性はありそうだなあ、と思いながら読む。恐れ入ったのは、この解釈のいずれもが小説中に書かれていること。うわーん。君の解釈は間違いだよ、別の「真実」があるのだよと作家は先回りして、読者の解釈の道を閉ざしているのだ。これなんてカー「九つの答」? ともあれ、この書物に魅了されると迷宮からぬけられなくなりそう。早々に退散、退散。