odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

本多勝一「アメリカ合州国」(朝日新聞社) 差別を経験したいなら被差別者と行動すればよい。1960年代の命がけの取材まとめ。

 1969年に著者が「アメリカ」という国を取材した時の模様。

1.ベトナム戦争から帰郷したブライ軍曹 ・・・ 1969年はベトナムに派遣された米軍兵士数が最大になった年。この時最初に兵士が撤退された。その黒人軍曹を取材する。白人カメラマンなどと同行した著者は黒人から胡散臭い目で見られる。

2.ハーレム素描 ・・・ ニューヨーク、マンハッタン、ハーレムにアパートを借りて1か月ほど暮らす。ハーレム(に限らない)での危険な生活(キャッシュを持たない者には物を売らない、アパートの汚さ、昼からたむろしたりドラッグをたしなんでいる成人男性、拳銃をもつことを勧められる環境など)が紹介される。

3.月着陸船アポロ11号 ・・・ 1969年はアポロ計画の達成年。アポロ11号が月着陸に成功する。そのニュースをハーレムで聞いたとき、黒人は非常に冷淡で無関心。「月よりも地上のことをどうにかしろ」

4.南部への旅 ・・・ 日本人留学生と同行して、ディープサウスと呼ばれるミシシッピー州ルイジアナ州を訪問。同行する留学生が長髪で、黒人と交流があることから、同地の白人に「南部の目」という冷淡、敵意、暴力その他の入り混じった差別の視線を受ける。2回目の旅では、黒人の民権運動活動家と移動する。警察による嫌がらせ、白人経営の店での販売拒否や宿泊拒否、その他いろいろな差別を受ける。時には、自動車で移動中にピストルで狙撃される。それに対して、黒人の住む町では居心地がよい。

5.「黒は美しい」 ・・・ 当時はキング牧師(すでに暗殺)の穏健な民権運動とブラックパンサーの過激な解放運動があった。そんなときに「黒が美しい」というタイトルの写真集が出版される。

6.黒人と日本人妻 ・・・ 米軍占領中に兵士と結婚しアメリカにうつった日本人女性がいる。ディープサウスに住む日本人妻3人を取材する。共通しているのは、夫と一緒にいると白人に差別され、黒人の中にいても阻害されている感じ。

7.「インディアン保留地」 ・・・ たぶん最初の「インディアン」(当時の呼称)保留地の紹介。保留地が生産性のない土地にあること(森林や田畑は保留地の外にあり、白人が所有している。「インディアン」の神聖な土地は公園になっていて「インディアン」が日常的に使うことが許されないなど)、彼らも黒人同様に貧しく、またベトナム戦争に出征する率が高いことなどが知らされる。


 まず「アメリカ」という国を黒人を通してみるというのがユニーク。彼らは人口の多くを占めながら、貧困率や失業率が高く、奴隷制が撤廃されたり公民権法が成立しても差別がなくなっていない、海外に派兵される兵士に徴兵・志願する割合が高いことなど、差別される側にいることが重要。取材にあたり彼の取った方法は、黒人と一緒に移動し生活を経験すること。これもユニーク。黒人差別のルポにはグリフィン「私のように黒く」というのがあり、彼は白人でありながら黒人のメイクをして、北部・西部のアメリカ都市で白人による差別を経験したのだった。「黄色人種」である著者はそのような変装はできないので、黒人と一緒に行動する。そこでもすさまじい差別、場合によっては命にかかわる危険に遭遇する。差別される側と同じ経験をすることで、差別のひどさが実感できるというわけだ。
 それから40年経過したところで見るとすると、黒人大統領が選出されたり、共和党でも黒人・女性を幹部に据え重要な職務を与えるなど公民権法や関連した法の理念を実現してきたことは重要。おそらく1960年代に権威的・強圧的であった人はそのまま変わらずにいたが、これらの理念を実現するべきであると考えた人が管理職や権限を持つ立場になることによってこれらの変化が進んだのだった。この種の実験をどんどん進めるというのは、彼の国のいいところ。一方で、自由主義的な政策や経済活動が貧困や格差を放置する傾向にあったり、世界の唯一の<帝国>として他国に強圧的であったりすることは問題。それはともかく、アメリカという国は1960年代までは国内に貧困を作りその搾取でもって繁栄し、国内の貧困が問題になると海外に貧困をつくりそれを搾取してきたのだという認識を新たにする。これは単にアメリカだけでなく、この国でも同じことをしてきたわけだが。
 最後に著者についていうと、差別については「する側」と「される側」しかないというのはたぶんそのとおりなのだと思う。とはいえ、どちらの側に立つのか、旗幟を鮮明にしないのは差別する側にたつことだ、というような突き付けをするのはどうかなあ、と。 越智道雄「アメリカ「60年代」への旅」(朝日選書)によると、黒人の公民権運動に参加した白人は厳しい自己批判を要求されて、その執拗さに辟易して運動から抜けたもの(ときとしては精神を病んだもののいたらしい)のいたことを追記しておこう。運動の方法を間違えると、味方を敵にしかねないということ。主張に共感するものの裾野を狭くするということ。