odd_hatchの読書ノート

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越智道雄「アメリカ「60年代」への旅」(朝日選書)

 初出の前年1987年は、サマー・オブ・ラブの20周年記念ということで、アメリカのいろいろな都市で回顧イベントがあったという。この国でも、大学闘争の象徴である東大安田講堂攻防戦から20年がたつころであったが、あいにく昭和天皇の体調不良の自粛騒ぎでなにもなかったと記憶する。むしろ1984年のほうが出版、映画上映などで回顧ブームはあったと記憶する。これは何度も書いたこと(いずれ取り上げます)。
 この本では、80年代になってから60年代のさまざまな運動の拠点になった場所と人を訪ねて、それぞれの近況を紹介するというもの。日・米・英で1980年から保守政権に変わったことや好況になったことや、まあ他にもいろいろな理由があって、60年代は急速に忘れられてしまったので、この種のレポートは重宝した。あの時代の音楽、映画は復刻されるけど、基本的に個人ないしグループの活動であった垣のような運動は記録が残されていないし、今もって当事者は固く口をつぐんでいるところがあるから、なおさらに。

ヒッピーのメッカ「ハシュベリー」 ・・・ サンフランシスコ北西の町ハシュベリーはヒッピーたちが集合した。その中からケン・キージーたちのLSDパーティとエメット・グローガンのディガーズ運動(ヒッピーたちの支援活動とゲリラ演劇)が紹介される。同時期にいたはずのPKDは触れられない。いくつかのキーワード。ヒッピー、togetherness、ビーイン、LSD、アシドテスト、ヘルズエンジェルス、フラワーチルドレン
ドラッグ・カルチャー ・・・ ティモシー・リアリーの一代記。いくつかのキーワード。意識の拡大、オルダス・ハックスリー、ターンオン・テューンイン・ドロップアウト、マンスン事件、ウォーターゲイト事件。
フィリップ・K・ディック「我が生涯の弁明」(アスペクト) - odd_hatchの読書ノート
コミューン ・・・ コミューン活動が起きた背景は核家族化の濃密な親子・恋愛関係からの離脱、企業・官庁などの高度管理社会からの離脱があり、外的には福祉政策としての失業者への食事配給制度(食券)がある。コミューンには二つの志向があり、争いや競争を避ける隠遁型と共同体志向の奉仕型。皮肉なことに奉仕型の管理は高度管理社会のそれに近づき、隠遁型はメンバーとの軋轢が耐えない。コミューンではカウンセリング、ワークショップ、セッションなどが頻繁に開かれ、メンバー間で感情の解放と嫉妬からの離脱が求められる。その際にはメンバーからの厳しい批判、非難を受けたり、即興劇や役割交換などのパフォーマンスを行う。いくつかのメソッドは企業の研修(新人、リーダーシップなど)に取り入れられている。なるほど、自分が共同体主義が嫌いな理由(というか感情)はここにあったのか。togethernessや意識の拡大の際のこういう派手派手しいやり方とか、他者からの批判を受けるとかそういうことがダメなんだ。あとアメリカのコミューンの多くは白人のみ。黒人が入ると激しい緊張関係になって(白人の差別意識を抉り出すことになる)、分裂したり、メンバーが抜けたりしたらしい。あとチャールズ・ライク「緑色革命」(ハヤカワ文庫)はtogethernessを強調しすぎという、コミューン関係者がいるとのこと。
大学紛争 ・・・ アメリカの学生紛争は、ベトナム戦争の徴兵恐怖と黒人差別の罪意識に基づく公民権運動をモチーフとする。大きくは白人学生組織と黒人学生組織がそれぞれに活動。その中に過激派と穏健派が分かれていく。新左翼毛沢東派やトロツキー派など)もあるが、極めて脆弱な組織なので影響力はない。また若手教官による学生擁護集団もあり、大学当局との折衝を行った。大きな運動としてカリフォルニア大学バークレー校とコロンビア大学(映画「いちご白書」のモデル)が紹介される。あとアメリカの学生紛争では問題は現実的なものに限られる。
市民運動 ・・・ 60年代の高度管理社会への反抗はアマ(素人)がプロ(専門家)に挑んだ戦いといわれる。しかし高度管理社会で人は何かのプロであるので、アマになるということはプロの犯した罪や過ちを懺悔してプロであることを辞めたものであるという複雑な一人二役を演じている。「市民」とはそういう矛盾を痛切に自覚して、プロの過ちを糾弾するものということになる(これをラルフ・ネーダーは「公的市民」と呼ぶ)。もちろん一人二役を無自覚に続けるものもいる(こちらは「私的市民」)。
 さて、ラルフ・ネーダーはデモ型の運動を持続性がなく体勢とか権力にはなんの影響も及ぼさない、むしろ持続的監視と告発に注力するべきであるととく。また、批判先の対象に対する有効な戦術を使うことを提案する。別の運動家のやりかたの例。あるデパートが黒人の雇用を拒否した。その反対運動は、黒人が代引きで買える最安値の商品を買い、自宅の受け取りで拒否するというもの。デパートの配送は売上にならない物流を行うことになり、店舗には黒人客が多数いるために白人の客足が止まる。結果としてデパートが泣きつき、100名以上の黒人を雇用することになった。頭いいな、不買運動も企業にダメージになるがこちらも効果的だね。
マイノリティの運動 ・・・ 白人の運動(学生運動ベトナム反戦運動など)は罪意識から発していたが、マイノリティの運動は被差別体験に対する怒りを原動力にしていたので、長続きした。ここでは(1)公民権運動とブラックパワー、(2)女性運動、(3)ゲイ、レズの解放運動が取り上げられる。いずれも穏健派と過激派、組織の独立志向と連帯志向、コミューン志向か示威行為か、などなどで分裂するのはいつものならい。あとこれらの運動を支えたのがカウンターカルチャー
私にとっての60年代 ・・・ 著者のまとめ。(1)60年代の「意識拡大」は若者の心をぼろぼろにし、リハビリを必要とした。その過程で新宗教、オカルト、ニューエイジなどにいくものがいた。(2)一方高度管理社会が進行し、対抗文化すら資本主義は取り込み、市民を消費者に押し込めた。人びとは出口をふさがれ、管理社会の一員であることすら意識しない「精神の白夜」にいる。(3)70年以降さまざまな運動は変質。示威行為から獲得した権利の運用に変化、そのぶん運動の「退潮」と思う人もいる、(4)カウンターカルチャーは衰退、理由は社会福祉政策の恩恵を受けることができなくなり、仕事に就かざるを得なくなったから、(5)また体勢の側や貧困層からは60年代に拡大された(おもにマイノリティのための)権利を元に戻す動きも出ている。社会福祉政策に金がかかり富裕層がその負担を嫌がることと、マイノリティ優遇のために職からあぶれた貧困層の怒りのためなど。
ミヒャエル・エンデ「オリーブの森で語りあう」(岩波書店) - odd_hatchの読書ノート
 最後のまとめはおおむね同意。とはいえまとめが書かれてからさらに四半世紀が立っていて、状況と評価はもう一度しなおさないといけないのかな。60年代の中心にいた当時20代の若者が60代になって就業者でなくなったし、それでいてもっとも人口の多い年代で社会福祉を受ける側になったしね。
 こういう喧騒な60年代をこの一冊で把握しようとするのは無理。またロック、文学、映画、ベトナム戦争新宗教、スポーツなどなどもれているところがある。なので、ここから他の本に向けて探索の触手を伸ばしていくべき。
 ところどころに書かれた著者の80年代に入ってからの経験がおもしろい。息子がホモに言い寄られて抵抗したとか、公民権運動の資料を見に行ったら白人女性の図書館員に馬鹿にされたのに腹を立てたとか、交通規制の警官がレンタカーにヘルメットをぶつけたのに怒ったとか。80年代の揺れ戻しとジャパンバッシングの影響かな、とも思うけど、前書きで自分は人前にでるのがそんなに得意じゃないのに云々と書いているのと違うじゃん。これもアメリカで暮らす時に必要な最低限の自己主張であるとすると、自分は外に出るのは難しそうだ(と言うくらいに自分は、リアルでは人に文句を付けられないヘタレなんだ)。

2011/12/12 チャールズ・ライク「緑色革命」(ハヤカワ文庫)
2018/07/06 フィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」(創元推理文庫)-1 1977年
2018/06/19 フィリップ・K・ディック「ティモシー・アーチャーの転生」(サンリオSF文庫)-1 1982年
2018/06/18 フィリップ・K・ディック「ティモシー・アーチャーの転生」(サンリオSF文庫)-2 1982年