odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ロナルド・ノックス「まだ死んでいる」(ハヤカワポケットミステリ)

 「召使のマック・ウィリアムは、空の明るい間は仕事を続ける人間の例に漏れず、早起きだった。 その朝も、山々の頂から夜明けの灰色の光が覗きかかった頃には、もう細君や子供を家に残し、いつものように、ブレアフィニイの方角へと歩いていた。 だが……この毎朝の習慣は、この朝に限って破られることになった。 というのは他でもない─彼は百ヤードも行かないうちに、、コリン・リーヴァが、冷たい硬ばった身体をして、そこの道端に横たわっていたのである。 だが、知らせを聞いて駆けつけた人々は狐につままれたような顔を見合わせた。 屍体がない。 まるで空気中に蒸発でもしてしまったように、今あった屍体がないのである。 だがしかし─これは、不可思議な事件の発端に過ぎなかったのだ。 屍体はその後、現われては消え、消えてはまた現われて、事件に関係した人々を五里夢中のうちに迷わせることになったのだ……。本書はイギリス探偵小説界の重鎮ロナルド・ノックスが、その高い教養とユーモアと風刺の才能を十二分に発揮した代表作として、長く翻訳を待たれていたハイブロウな傑作である。(裏表紙のサマリ)」
まだ死んでいる - ロナルド・A・ノックス(移転しました)


 1934年作。「サイロの死体」の次の作。
 「まだ死んでいる」は田園ものにあたり、舞台はスコットランドの田舎貴族。世界不況の波が激しいのか、昔ながらの荘園経営は時代遅れなのか、家は傾きかけている。当主ドナルは家を残してほしいのがだ、息子コリンは無精で仕事に興味がない。あまつさえ飲酒運転で子供を引いてしまうという事故まで起こしてしまう(当時のイギリスの交通事故への寛容さはおどろくべし)。また分家のヘンリーとはそりが合わず、角突き合わせている。コリンは心入れかえるための外遊旅行中、ドナルドは脳卒中で倒れる。コリンの帰ってくる日の朝、サマリのように凍死したコリンの死体が発見され、20分の間に消えてしまう。それが2回繰り返された。ドナルには多額の保険が掛けられていたことから、保険会社の探偵プレドン(まま)が妻と一緒に事件の捜査を行うことになる。そのうち、コリンのレインコートが見つかったり(しかし財布がない)、海辺の断崖にある洞窟にコリンの潜んでいたらしい形跡が見つかったり、駅の遺失物係にコリンの厚い外套が紛失物として預けらていたり、と事態は錯綜する。
 「動き回る死体」という趣向。超常現象だ、と騒ぎ立てる人はいない。それにこの家には相続するときに相続人が死亡するという伝説があるが、それとの関連を声高に唱える人もいないし、新興宗教にはまった人もいるが合理的な態度は崩さない。これがカーでであれば、フェル博士かH・M卿が大声でしかりつけるだろうに。面白いのは、作者は教会の大僧正であるのだが、とくに宗教問答を熱心にするわけではない。死体は死体、物体にすぎず、その死因に問題があるなら現世の科学で調査さるべきで、犯人は法で裁かれるべきという姿勢をくずさない。ここはチェスタトンと異なるところ。とくに真相究明後の処置がきわめて世俗的であって、貴族の一族・保険会社・医師・警察すべてが丸く収まるような収拾のつけ方をする。何が何でも警察に突き出せ、法で処罰せよと、犯人は神の怒りに触れたなどとは言わないのである。これが倫理にとって正しいかどうかはおいておくとして。
 「サイロの死体」解説にあるようにこの作品もプロットの勝利。とくになにか特別なトリックを仕掛けているわけでもないし、奇抜なところに犯人が隠れているわけでもない。それでもこの「動き回る死体」の謎が錯綜するのは、まさにプロットによるもの。丁寧なことにプレドンの推理が披露されるごとに、その記述はここにあるよとページ数が表示されるのであった。まあ、なんともご親切なこと。あと、小説の大半はマイルズ(プレドン)とアンゼルの夫婦による推理合戦。些細なことにも意見を交換し合う展開を本格の雄とみるか、ダレ場と見るか。ストーリーの展開をのろくするわけで、読み通すのは少しばかり苦痛だった。
 すこしいちゃもんをつけると、解説の都筑道夫がいうように翻訳が小説の味を殺している。もっと皮肉とユーモアのある軽い話であるはずだが、この訳者の文章は重すぎる、堅すぎる、生真面目にすぎる。エンターテイメントといえども四角四面ばることが必要な時代に生きていた訳者(生年明治39年)であるから仕方ない。可能であれば改訳を望みたいが、受容する読者がいないか。あとタイトルにシビれた(死語)解説者がのちに紅子シリーズの一冊を同名にしたことも記憶しておこう。