「第一次世界大戦下、イギリス片田舎のスタイルズ荘。ある夜遅く、一家は女主人エミリー・イングルソープがストリキニーネによって毒死するのを目撃する。客として居合わせたヘイスティングズ中尉は事件について、近くのスタイルズ・セント・メアリー村で再会した友人エルキュール・ポアロに助けを求めた。事件当日、エミリーは新しい夫アルフレッドかその息子ジョンと思しき人物と口論し、結果遺言書を改めることにしていた。彼女は夕食をほとんど取らず、書類入れを携え早々に自室へ戻った。その夜彼女は死に、遺言書も消えた。夫はその夜、屋敷を離れていたという。誰がなぜ、いつどうやって毒を盛ったのか。ポアロはヘイスティングズとともに調査を開始する。(裏表紙のサマリ)」
ポケミス版なので田村隆一訳。戦後の作家は小説だけでは食えなかったのか、ミステリの翻訳というアルバイトをやっていた。おかげで、田村隆一・鮎川信夫・堀田善衛・西脇順三郎・福永武彦・丸谷才一・阿部知二・福田恒存といった面々によるクリスティその他の翻訳があるという贅沢なことになった。さすがに昭和20-30年代の翻訳は古くなってしまったらしく、品切れ・絶版で入手が難しくなった。
解説は都筑道夫。ここで彼は、ミステリは書かれた時代を考慮して読んではダメよ、あくまで読書している現在の視点で読みなさい、古いエンターテイメントの技術のなさ、稚拙さはそのまま減点しなさい、厳しい目が必要、といっている。自分はこういう読み方をしてこなかったので意外。むしろ時代風物を懐かしむ道具、当時の意識・無意識の発見、などという読み方をしてきた。センセーの主張には敬意を払うけど、従うことは難しそう。
あまり集中して読めなかったので、事件の印象が薄い。なんともダメな読者なので、いくつもの手がかりを見落としてしまった。それというのも、あまり頭のよくないヘイスティングスがポアロの忠告を無視して、間違った推理とそれに基づいた誤った捜査を行い、正確ではない人物描写を記載したからだ(と自分のダメぶりを責任転嫁してしまう)。
時代は第1次大戦の最中。イギリス人によるベルギー人差別もあったはず(のちのモンティ・パイソンでそういうスケッチがあったなあ)だが、作中で侮辱を受けたポアロが憤慨しながらもこの犯罪の捜査を引き受けたのは、大戦中にポアロの友人がイギリス人によって救出されたため。この恩義に報えるための行動なのであった。義侠の人だったのだ、ポアロは。
当時のイギリスの田舎町の邸宅には電気が通じていなかった。効率の悪い家だったから、多人数が住み、家事を分担しないと運営できなかった。そこには、家族だけではないいろいろな系類の人が同じ屋根の下にいる。愛憎が交錯し、遺産相続に関心を向ける。その代わり世間のことには無知。こういう世界で起きた殺人事件。クィーンやヴァン・ダイン、クロフツなどが都会の事件を書いたことと比べると、クリスティのスタート地点は相当に違っていた。これだけだと、ウィリアムソン「灰色の女」のようなゴシック・ロマンスの系譜につながるようだが、クリスティはスパイ小説を書くなどして、自分をモダンな作家に変化させていったような気がする。この視点はもう少し読んでいくとはっきりするような気がする。