odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジェイムズ・ヒルトン「学校の殺人」(創元推理文庫) 犯人あてとしてはダメダメだが、別の見方をすると大傑作。油断してはならない。

 学校といいながらもこの国の軽い小説に出てくるような学校ではない。貴族の師弟が寄宿生活を送るパブリック・スクール。昔ながらの自治が認められ、警察の介入は受け入れず、教師も生徒もジェントルマンとして堅苦しい(と見える)態度を崩さず、なかなか本心を語らないし、パニックになる者もいない。そういう法の権威が執行されない場所であることに注意。訊問は行われず、会話でもって情報を入手しないといけない。

「探偵の才ある文学青年コリン・レヴェルは、母校の校長から、学内で発生した怪死事件の調査をしてもらえまいか、という手紙を受け取った。三か月前、寄宿舎で寝ていた生徒が重いガス灯用具の落下をまともに受けて即死した。陪審員は“事故死”の評決を下したが、その生徒の奇妙な遺言状が発見されるに至って事件は新たな様相を帯び……。本書は世界的文豪ジェームズ・ヒルトンが書き下ろした唯一の長編推理小説。ミルン『赤い館の秘密』やモーム『秘密諜報部員』と並ぶ、『チップス先生さようなら』や『鎧なき騎士』の著者による、異色の本格ミステリ作品である。ヴィンセント・スターレットは「類型を脱した、第一級の傑作」と絶賛した。」
学校の殺人 - ジェームズ・ヒルトン/龍口直太郎 訳|東京創元社

 上記の事件が起きたのでローズウィア校長はぶらぶらしている卒業生レヴェルを呼び、探偵を依頼する。しばらくすると、最初の事件の被害者が今度は深夜のプールに落ちてしまった。プールには水がなく、しかも頭を打ち抜かれていた。動揺したのは主に教師、神父、校寮監など大人たち。死んだ生徒たちは両親がいないので、遺産はいとこの校寮監に贈られる。その夫人は魅力的な容姿と会話で学校の人気者。レヴェルは次第に魅かれていく。
 レヴェルの捜査は素人ゆえの悲しさ、遅々として進まないし、とりあえず校長秘書であるということにしているが校内の関係者は彼が探偵であると認識している。そこに、警察の刑事が秘密捜査をしているとのことでレヴェルに近づくが、事件の半ばで手をひいてしまう。となると、レヴェルは自分が解決しなければと強い使命感を持ってさらに捜査にまい進する。その一方、夫人はもうすぐアフリカに出発するということで恋心はますます燃えていく。
 犯人あてという視点でみると、それほど難しくない。なにしろ、ほとんどの探偵小説で推理を裏切られてきた自分が正しく犯人を当てることができたのだから。でもこれは本作が失敗であるということを意味しない。すなわちここにはふたつの物語が同時進行していたのだから。ひとつは上記のようなまっとうなミステリーの常道である犯人あて。これはレヴェルの物語。もうひとつは、証拠のない犯人をあげるためにしかける罠の物語。これは○○と○○の視点にたったときに浮かんでくる。その結果、この小説の仕掛けは「お前が犯人だ」ではなく、「お前の役割はこうだった」ということになる。なかなか凝っているなあ。途中までは、クリスティもクイーンもヴァン=ダインもデビュー済(本作は1932年)なのに、ずいぶん古いタイプの小説だなあと思っていたが、最後にやられた。これだから英国の黄金時代探偵小説は油断がならない。事件と舞台が地味だから目立たないけど、佳作でした(くどいが犯人あてで評価すると、ダメダメですよ)。
 著者ヒルトンは戦前から戦後の一時期によく読まれた作家。代表作は「チップス先生さようなら」だけど、戦前に「鎧なき騎士」が映画化されていてマレーネ・ディートリッヒがきれいだった。これは創元推理文庫ででていて、1970年代は「失われた地平線(新潮文庫)」「私たちは孤独ではない(ハヤカワ文庫)」があった。若死にしたおかげ(1954年没。享年54歳)で、忘れられてしまった。