odd_hatchの読書ノート

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早川書房編集部「アガサ・クリスティ読本」(早川書房)-2 英国の評論は具体的で事実に即して論理的に書かれる。そう簡単には哲学や形而上学を持ち込まない。安心して読める。

2020/09/24 早川書房編集部「アガサ・クリスティ読本」(早川書房)-1の続き 

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評論
ノスタルジーの王国(コリン・ワトソン) ・・・ 1920年代のイギリスの庶民は貸本屋で本を借りて読んでいた(いわれてみれば! ペーパーバックが出て本が消耗品になったのはWW2以降。(尾崎俊介「紙表紙の誘惑」(研究社))。庶民が求めたのは「逃避」の文学。逃避したかったのは生活苦ではない。政治や戦争、なにより死(庶民と帰還兵は互いに気が通じない。ベトナム戦争帰りと同じ問題が起きていた)。そのとき、クリスティの小説は庶民の生活に極めて近く、死を遠ざけるノスタルジーを読者に提供した。

誰でも知っていたクリスティ(シリア・フレムリン) ・・・ デビュー以来のイギリス市民によるクリスティ受容。「アクロイド殺し」に激怒してクリスティにそっぽをむいた読者がいるとか。ロンドン大空襲下で、市民は探偵小説を読むふけったそう。防空壕には探偵小説だけを集めた「空襲図書館」が開設されたとか。

誰も知らなかったクリスティ(ドロシィ・B・ヒューズ) ・・・ メアリ・ウェストマコットのこと。

江戸川乱歩/中村真一郎/数藤康雄/鮎川哲也/仁木悦子/森茉莉/福永武彦/小林信彦のエッセイ

コーンウォリス卿の復讐(エマ・レイサン) ・・・ アメリカのクリスティ受容。アメリカンの読者はクリスティに熱狂する。しかしイギリスの風俗はアメリカ人にはよくわからない。クリスティはイギリスの中産階級の生活の変遷を記録した。クリスティはアメリカ人を作品に登場させることが少ない。など。

謎解きの女王(ジュリアン・シモンズ) ・・・ クリスティの見事なところはプロットがたくみな事(ストーリーではない)、ストーリーにはパターンがある、仕掛けが見事、専門知識が不要な謎解き。1920年代が最高で、年を取るごとに質は落ちていった。マープルよりポワロのほうができがよい。傑作は「アクロイド殺し」「ABC殺人事件」「そして誰もいなくなった」。次ぐのは「オリエント急行の殺人」「邪悪の家(エンドハウスの謎)」「カーテン」。どこがよいかはある程度の了解ができても、どれがよいかは好みが分かれますなあ。

わが友、ポアロ(H・R・F・キーティング) ・・・ 作品から抽出したポアロの姿。1920年に登場して1974年が最後の事件。享年130歳とのこと(1844年生まれと推定されるため)。

ミス・マープルの肖像(クリスチアナ・ブランド) ・・・作品から抽出したマープルの姿。享年は85歳から101歳までと推定されるとのこと。

パーカー・パインとクィン氏(E・F・バーゲイニア) ・・・ 作品から抽出したパーカー・パインとクィン氏の姿。

アガサ・クリスティ映画(フィリップ・ジェンキンスン) ・・・ クリスティ映画で成功したのは少ない。ルネ・クレールそして誰もいなくなった」1931、ビリー・ワイルダー「情婦」1957、シドニー・ルメットオリエント急行殺人事件」1974が名作とのこと。(戦前・戦後にイギリスではたくさんのクリスティ映画がつくられたが、この国では上映されていない。BBCがなんどもテレビドラマにしていて、最近のものはNHKで繰り返し放送されている。)

演劇へのミダス王の贈り物(J・C・トレウィン) ・・・ クリスティは小説と並行して戯曲もたくさん書いて、上演した。優れているのは「ネズミ捕り」「検察側の証人」「蜘蛛の巣」のみっつ。イギリスは演劇がとても盛んで新作、旧作、ロングランなど多数上演される。

音楽とミステリ(ウィリアム・ウィーヴァー) ・・・ クリスティは芸術にはあまり言及はないが、オペラだけはよく小説に登場させていた。若いころに声楽を習いピアニストになろうとしたためか。

 

 ときどきクリスティより若い世代の英国探偵小説作家がでてくる。翻訳のせいもあるだろうが、しっかりしたエッセイだった。同時収録の日本人探偵小説作家の文章がとりとめなく、また個人的述懐の範囲でしか書いていない(調べたり深く考えたりしていない)のと好対照。文章を書く訓練や文章を発表する責任などが違うのかも。
 英国の評論は具体的で事実に即して論理的に書かれる。そう簡単には哲学や形而上学を持ち込まない。これはイギリスの哲学や評論の伝統にのっとっているのだろう。安心して読める。そのかわりに、思いがけない飛躍や連想はない。そのためにびっくりするところはない。そのかわり、長い時間を経過しても読むことができる。
 日本の評論では、哲学や形而上学がふんだんにあらわれ、びっくりするような指摘がでてきたりもする。書かれた時代にあっていれば、評論の影響はおおきい。でも時間がたつと、ひとりよがりやはなもちならなさなとを感じるようになり、読むに堪えなくなる。大きな違い。
河出文芸読本「ドストエーフスキイ」(河出書房)

2020/09/21 早川書房編集部「アガサ・クリスティ読本」(早川書房)-3に続く