odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ピーター・ディキンスン「キングとジョーカー」(扶桑社文庫)

 現在の並行世界にあるイギリス。1977年当時のイギリス国王とその一家(架空の家族)。国王ビクター(医師の免許を持っているというのがおもしろい)に王妃イザベラに、皇太子アルバート(高校生)に、王女ルイーズ(14歳)。そこに国王の秘書ナニー(国王の愛人。王妃はこの関係を認めて結婚している)に、王室警備員マギバン(国王にそっくりの顔を持っているので採用された)にティールに、乳母ダーディなど王室の内輪の人々の生活が描写される。平穏な彼ら王室の内輪の世界にジョーカーが現れる。ハムがヒキガエルに置き換えられたり、執事のズボンが切り裂かれていたり、王女の部屋が荒らされたり。いたずらの後には「X」のサインが残されている。最初は笑ってすごせることが次第にエスカレート。ついには南米文化の関係者に対する王妃の歓迎パーティで国王が殺されているのが発見される(人違いと判明)。興味を覚えた王女ルイーズは、ジョーカーを突き止めたいと活躍するうちに、犯人の追跡を受けるようになる。ジョーカーはなぜ王室にいやがらせをするのか。なぜ人殺しが起きたのか。鍵をにぎるのは、80年にわたり王室の乳母を勤め、いまは老衰でねたきりのダーディが握っているらしい。
 こういう異常な状況を設定して、細密な描写をするというのは、イギリスの想像力の一つの特長かな。架空の王室の家族関係を描写する長々しい講義はないし(横溝正史「本陣殺人事件」冒頭60ページを思い出しねえ)、語り手が事態を説明することもない。ひたすら細部の描写のみ。それでいて、人物は生き生きとしていて、舞台はリアリティがあり、じっくりと読ませるストーリーが紡がれていく。些細な描写が事件の真実にかかわっていく謎解きも見事。プリーストの「逆転世界」やピークの「ゴーメンガースト」なんかを思い出した。それにしてもイギリス王室を舞台にするとはねえ。日本で言うと、皇室の連続殺人事件を天皇が推理するみたいなものだからね(歴史ミステリーで、アリストテレスデカルトなんかが探偵役を務めるミステリーが生まれているから、いずれそんなのもできるかな)。
 細部の描写の的確なこと、内面の描写の細かくリアリスティックなこと、まずは小説として優れたできばえに拍手。中学生ルイーズが宿題をしたり、友人たちの恋愛に関心を抱くところあたりの思春期の心の描き方がとてもうまい。あわせて彼女は王女として「よそいき」の顔と「うちわ」の顔の使い分けを習得しなければならず、二つの自意識をコントロールしながら生活しなければならない。このストレスは半端なものではないと思うが(どこかの皇室でも苦労されている様子)、それを受け入れていく心理の描きかたはみごと。あわせて家族に関する秘密を知ることになり、アイデンティティの危機も迎えることになる。それを克服していく過程も読みごたえのある物語。彼女が自立に向かうエンディングは、事件のまがまがしさを少し緩めるすがすがしさを感じさせた。
 というわけで、われわれは「キングとジョーカー」を、1)ミステリーとして、2)王室という特殊な世界を描く小説として、3)少女が自立する物語として、3つの読み方ができる。初読時は1のミステリーとして読むことになり、2や3に対する視線はお留守になると思うので、ぜひとも再読をくりかえすべき。かつてサンリオSF文庫で紹介されたときには、評判を聞く前に絶版になっていた。今回の読書で、この人の力量に唖然としました。