ルリタリア王国はドイツとチェコの間に位置する(表紙の地図を参照)。若き国王ルドルフ5世が戴冠することになり、ローマ法王が首都を訪れていた(ヨーロッパの王権は神権に承認されないといけないのだ)。しかし、異母兄弟のストレルサウ大公は王位簒奪を謀り、ルドルフ5世に毒酒を贈り、戴冠式に出られないようにした。たまたま同地を訪れていたイギリスの紳士ルドルフ・ラッセンディルは顔がそっくり体形も似ている。王の忠臣たちと相談して、国王の代わりに戴冠式に臨んだ。留守にしている間に、ストレルサウ大公はルドルフ5世を誘拐し、居城であるゼンダ城に幽閉してしまう。一時の身代わりに立ったラッセンディルはフラビア王妃の愛を受けて、国王奪還に挑む。ゼンダ城は難攻不落の要塞。身代わりの秘密を漏らしてはならず、わずかな手兵でどうやって攻略するか。
1894年に書かれたイギリスの冒険小説。これが冒険小説のはしりというわけではないが、この国で読める冒険小説の最も古い部類にはいる。舞台に選ばれているのが、ゲルマンの辺境であることに注意。ほぼ同時期のドイル「ボヘミアの醜聞」にしろストーカー「吸血鬼ドラキュラ」にしろ、東欧が冒険と怪異の舞台になった。すなわち自由主義と資本主義の最先端国家からすると、王制が続き旧弊の経済体制にある東欧はイギリスの一世代以上前の騎士道がリアルであると思われるような「周縁」であったのだ。この地で四半世紀ほど後に書かれたバルドゥイン・グロラー「探偵ダゴベルトの功績と冒険」(創元推理文庫)でも、王制や縁故主義があって、騎士道はリアルであった。そういう背景をまず見ておくことにしよう。
(ジェイムズ・ヒルトン「鎧なき騎士」(創元推理文庫)1933年もロシア革命を背景にした、イギリス人の冒険小説。)
あいにく王位をめぐる二人の兄弟(ルドルフ5世とストレルサウ大公)のキャラは弱い。それを補うのが、思いがけず冒険に挑むことになった快男児ラッセンディルと、大公の腹心にして叛逆の意図を隠そうともしないヘンツオ伯。若くしかし腹黒く、剣の達人であるヘンツオが一手に読者の憎悪を受ける。ヘンツオはラッセンディルの作戦で常に先を行き、裏をかき、国王奪還の邪魔をする。そのために、ラッセンディルは何度も傷つき、病臥に伏さねばならない。幽閉監禁された国王が日々刻々と衰弱する中、奪還は急がねばならないが、計画は延期に次ぐ延期に、修正に次ぐ修正。この遅々とした歩みに読者は焦りを感じもしよう。
その代わりに挿入されるのが、ラッセンディルをめぐる愛の関係。すなわち、国王を歯牙にもかけなかった可憐な乙女のフラビアは一目ぼれし、その純情さに思わずほだされてしまいそうになる。さらにはラッセンディルに色目をかけた年増のアントワネット・ド・モーガンはストレルサウ大公に取り入ったものの寵愛を受けるまでにいかず、ヘンツオのちょっかいもあって、今や大公を裏切る決断をしてラッセンドルフに手紙を送るのである。これらの愛を現代(19世紀)の騎士たるラッセンディルは獲得するわけにはいかず、愛は断念し、国王への友愛を優先するのである。
そしてゼンダ城へのアタック・アンド・エスケープ。ヘンツオがことごとくラッセンディルらの邪魔をするなか、成功するのか。国王を奪還できるか。
ほかにもラッセンディルと国王の忠臣であるサパト大佐とフリッツ・フォン・ターレンハイムとの男の友情も楽しい。19世紀末の作ではあるが、現代に通じる物語。それに、構成の妙は同時代のスティーブンソンやハガードよりも流麗であり、およそ不満をもつところがない。21世紀にも読者を獲得できる小説だと思う。。惜しむらくは文庫で250ページとページの少ないこと。もっと長くしてもらいたいもの。文庫が入手難なのは残念。
顔がそっくりの国王との身代わり、悪臣の陰謀の妨害など、ここで築かれた手法はのちの書き手の範になった。たぶんジョン・ディクスン・カーもこの小説のファン(「ビロードの悪魔」「火よ! 燃えろ」などが影響下にありそう)。
2020/04/21 アントニー・ホープ「ゼンダ城の虜」(創元推理文庫)-2「ヘンツオ伯爵」 1898年
どうでもいいことだが、この古い冒険小説を読んだのは、都筑道夫が「翔び去りしものの伝説」のあとがきに次のように書いていたから。
「ヒロイック・ファンタジィを書こうとして、私は躊躇なく「ゼンダ城の虜」を下敷にえらんだ。そこへもうひとつの少年時代の愛読書を、つけくわえようとも計画した。「西遊記」である。ありていにいえば、この作品は裏返しにした「ゼンダ城の虜」が、「西遊記」へ移行していって、また「ゼンダ城の虜」に戻ってくる、という構成のもとに、書かれたものなのだ。(徳間文庫)P408」
1922年の映画。
1937年の映画