odd_hatchの読書ノート

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小田晋「グリコ・森永事件」(朝日出版社)

 1985年月ころの刊行。前年のグリコ・森永事件について、犯罪心理学の著者が語った話をまとめている。
 事件の経緯のうち注目点は、3つかな。グリコ社長の誘拐、市場に流通している商品に毒物を混入させてほとんどすべての人を人質にする、数多くの脅迫文をマスコミに送りつけ犯罪の舞台をメディアに置いた、こんなあたり。
 著者が注目したのは次のようなところ。
・企業をターゲットにした犯罪の新しい型になっている。それまでは企業に対する直接的な行動(たとえば、本社侵入とか爆破、社員や社長の誘拐、殺害など)だったのが、企業のステークホルダーに対する脅迫を行ったということ。それによって、企業そのもの(資産や人など)に被害が無くても、市場が商品で売れなくなることによって企業に被害が現れるということ。かつては総会屋のような隠密に脅迫する犯罪があり、企業はその防衛方法は知っていたが、この事件を契機にして企業防衛の方法を変えなければならなくなった。(たぶんそれが説明責任やパフォーマンスの社内評価などにつながる。21世紀になっての企業不祥事によって、倒産したところもあれば、それをきっかけにして成長したところもあり、その意識の差はこの辺りにあるはず。)
・犯人は、知的であり計画的な中年の人物と思われる。犯罪の目的はよくわからない(脅迫文では金銭要求が出なかった)が、社会や政治に深いルサンチマンをもっているだろう。おそらく全共闘運動の経験者かその周辺にいた人物。全共闘運動は政治的には敗北、失敗であるが、この運動を通じて日本人のメンタリティを変えた。それは運動参加者の世代を中心に、ニヒリズムアナーキズムを植えつけることになったということ。この意識が犯人のメンタリティに影響しているはず。さらに、彼らとメディアが共演した劇場犯罪の観客になった国民には、犯人に対する共感と被害者企業に対する共感が生まれた(グリコ・森永製品を買おう運動があった)。これは、社会を管理する制度に対する不信や不満から生まれると思う。それが広範囲の人に現れたとすると、その背景には全共闘運動の遺産であるニヒリズムアナーキズムが影響しているだろう。
 自分の考えだと、ここで「アナーキズム」が出てくるのに納得いかない。アナーキズムは政治運動の一種ではなかったかな。国家を解体して、主体を持つもの(個人でも組織でもOK)が自由主義的な経済を作るのはなかったかしら。まあ、俗流アナーキズムなのだろう。
 本書とはずれる話をすると、1984年はオーウェルの年であるのだが、同時に東大安田講堂落城(この命名がなんともルサンチマンを感じるなあ)15周年だった。そこで、全共闘関連本がでるわ、ドキュメンタリフィルムが上映されるわ(池袋文芸座地下で見た)、VHSが馬鹿高い値段で売られるわ、雑誌に特集が組まれるわ、という事態になった。そのとき、当時の若者がなぜ全共闘に共感するかという視点でいくつか記事やニュースが出たと記憶する。いまでこそグリコ・森永事件と全共闘の関連というのは不思議であるけど、当時の雰囲気では違和感は無かったように思う。