odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

山口雅也「キッド・ピストルズの冒涜」(創元推理文庫)

 パラレル世界のイギリスは読者の現実世界と地続きではあるが、微妙な差異がある。たとえば、シェークスピアは「オセロ」を喜劇として発表し、ジョン・レノンは暗殺されていなくて・・・。それでも経済停滞はどうしようもなく(バージェス「時計仕掛けのオレンジ」とでも思いなせえ)、警察は腐敗。そこで民間の探偵が警察に先んじて、犯罪捜査をすることになる。そこにはパンクスの二人(キッド・ピストルズとピンク・ベラドンナ)が難事件を担当していた。という設定のミステリ。パンクスのような下層階級が探偵するというのが、ブラウン神父やピーター・ウィムジイ卿のいる社会で起きているという皮肉。
 もう一つの趣向は、事件がマザー・グースの暗喩に満ちていること。犯罪になぜ文学の衣装を乗せるのか。

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「むしゃむしゃ、ごくごく」殺人事件 ・・・ いとこに恋人を取られた女優は50年間も屋敷から出たことがない。そのうえだれも家に入れない。なのに、その日着飾った女優は夕食のあとに青酸カリで毒殺された。食事は一人で取っている。どうやって入れない部屋に入って毒殺したのでしょう。

カバは忘れない ・・・ 倒産寸前の動物園の園長が自室で殺されていた。愛玩のカバ!?も一緒に殺されている。秘書役のアフリカ人とピグミー族の呪術師、そして動物をはく製にするための購入していた日本人。部屋には5000ポンドの大金が残され、死体は血でHの文字を書いている。失明寸前の園長は何を伝えたかったのか。意外な動機。

曲がった犯罪 ・・・ 「生きた屍の死」並みに込み入っているのでサマリーを作りづらいな。落ちぶれた資産家がジャンク・アートのアトリエで死体で見つかった。石膏で固められるという芸術風の装いで。そのまえに資産家はストリキニーネで死にかけたが、アーティストの手で助けられている。資産家は背骨の曲がった猫を買い、アーティストは資産家の援助を打ち切られ、評論家も名声を失墜しそうになっている。冒頭のポーカーゲームも後で意味をもつなど、緊密な論理の構成。「犯罪者は芸術家、探偵は評論家」というテーゼに対する批判もこみ。

パンキー・レゲエ殺人(マーダー) ・・・ ジャマイカラスタファリズムのシンボルになっている歌手が保守派の刺客におびえている。マザー・グース(ten little nigger)の歌詞を使った脅迫状が届いたからだ。おまけに、マネージャーは白人のレコード会社社長といさかいを起こしている。最近加入したバンドにはヤクの売人もいるらしい。明日は歴史的なコンサートになるという晩、コテージに閉じこもった歌手から刺客に襲われているという電話が入り、駆け付けると麻薬警察の警官に監視されているコテージで歌手は殺されていた。髪が切り裂かれている。一方、ヤクの売人とうわさされたバンドマンも別のコテージで殺されていた。こちらも髪が切り取られ、手に小切手の切れ端を握っている。悪霊ダピーの仕業か。探偵を除くキャラのほとんどが非白人のアフリカ系という当時としては珍しい一編。


なぜ駒鳥を殺したのか ・・・ マザー・グース・ミステリーにこだわる理由。ヴァン・ダイン、クイーン、クリスティのすごさについて。


 民間探偵(およびそのギルド)が公の警察組織に代わって捜査する(個人情報にアクセスし人権を捜査目的で侵害する)のは奇妙な考えにみえる。でも、政府組織や公共サービスを民営化しようという考えのアナルコ・キャピタリズムでは妥当とされる。
笠井潔「国家民営化論」(知恵の森文庫)
ロバート・ハインライン「月は無慈悲な夜の女王」(ハヤカワ文庫)-1
 この設定はおもしろいのだけど、作中では複数の探偵による推理比べに使われただけだった。ハインラインの小説が裁判所のない社会で裁判が行われる可能性を書いたように、警察が機能しない社会で探偵が成り立つかをもっと追及してもよかったかな(都筑道夫の「未来警察殺人課」は警察のない社会での探偵の存在意義をみいだそうとしている)。
 最後の「パンキー・レゲエ殺人」の前書きで、ミステリは「白人の中上階層の文学で、登場人物のエスニックは、ほとんど無視されている(P229)」と指摘しているのは重要。この国でも法月綸太郎「誰彼」(講談社)みたいに非日本人の存在は忘れられる(あるいは単純な悪役にされる)ので。その点では、アメリカ国内の日系人を描いたデイル・フルタニ「ミステリー・クラブ事件簿」(集英社文庫)1993年は先駆的だった。山口作のは、社会の問題の取り上げが図式的ないし抽象的で、読者の物理現実につきささるような切実さは読み取れなかった。まあ、謎解きや犯人あて、あるいは趣向に凝るとそこまで手は回らないのもむりはない。
(この短編集が出たのは1991年で、作中にはメセナ(企業による文化支援事業)のことばや、日本人が海外の資産や企業を買いあさるという話題があってバブルのころをほうふつさせる。21世紀の日本はどちらもなくなり、むしろ日本企業が海外企業に買収されるようになった。


 マザー・グース殺人ばかりのキッド・ピストルズの短編集は「冒涜」のあとに、「妄想」「慢心」「最低の帰還」「醜態」と続く。もちろんホームズ探偵譚のタイトルをモジっている。