odd_hatchの読書ノート

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磯崎新「ポスト・モダン原論」(朝日出版社)

 1985年刊の週刊本の一冊。
 ポスト・モダニズムというのは、もともと建築学あるいは建築設計現場の人たちから生まれたわけで、それが現代思想の一潮流になったのは、デリダドゥルーズガタリなどのフランス思想の紹介者たちがいいだしたから。あれ、リオタールに「ポスト・モダン」をタイトルにした本がなかったっけ。まあいいや20年以上前の話だ。

 この本に即していえば、1920年代建築界に「モダニズム」がはじまった。それまでのいろいろな様式を捨てて、合理的・科学的な思考で建築物を作ろう。そのときに、人間主義みたいなのは仮構だからかっこにいれておいていいのだ、ということも一緒に主張された。まあ、直線や平面で区切られた空間をつくり、素材をむき出しにし、装飾は一切排除しようというようなもの。代表はル・コルビジュあたり。そういう建築は1960年代まで主流派になった。たぶん異論・反論があると思うがジャック・タチ「僕の伯父さん」にでてくる1950年代後半の最新アパートがそういう思想で作られたものだった。
 で、もって、1968年(著者はこの時代を重要な転換点と考えている。なぜなら、モダニズムにおいても父権とか権威とかそういう制度が働いていたのだが、この年のできごとで虚構であることがわかった。さらには、1945年までの近代人のトラウマであるアウシュビッツヒロシマなんかの経験から開放されてしまったから、との由)以降は、モダニズムにも飽きが出て、別のやりかたを探るようになった。でもルネサンスみたいに過去の様式に帰れとか自然に回復せよという復古ないし回顧的なやり方ではだめだった。なにしろ、過去の様式はカタログ化されていて、それを使うと模倣になるよね、それに資本主義における多品種の生産はすごいことになっていて、ひとりで全貌を押さえることはできない。せいぜい自分の好きなブランドや出入りの業者の勧めに応じてパーツを選択するくらいが建築家の主要な仕事になってしまった。
 そこで、とりあえずクリエイティブな仕事をできる立場にある著者は、分裂的・折衷主義という方法を提案する。分裂的というのは中心とか主題をもたないこと。視点の置き方によって建物の見え方が変わるような感じとか、建築を含めた設計において中心をつくらないとか。折衷主義というのは過去の様式を時代や場所と無関係に引用してしまおうというもの。まあ、こんな感じ。もうすでにいろいろなことは十分に試みられていて、新しさや独自性(クリエイティビティとかオリジナリティ)は発揮できない。建築家に残されているのは、編集力(エディティング)とか新奇性(ノベリティ)なんだよということ。
 これを読んでからその後建築関係の本を読んだことはないので、判断はなし。この人は筑波のセンタービルを作っていて(この本に写真が載っている)、完成直後あたりにうろうろしたことがある(1984年ころ)。たしかに分裂的というか、どこにいてもおちつくことができない場所だったなあ。その10年前に作られた近くの大学は、学生が野外で集まることができないように設計されていて(設計者は別だと思う)、まあ同じようなへんてこりんな場所は隣接してつくられるものだなあと感じたことを思い出した。