odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

イヴァン・イリッチ「脱病院化社会」(晶文社)

 初出は1972年だったと記憶する。それから35年の時をへて、医療制度の変更が行われたのちとなると、この告発の対象がだれになるのかわからなくなる。当時の疫学その他の研究水準などもあって、主張の裏付けの信ぴょう性にも疑問があり、今回は文章を飛ばしながら拾い読みした(翻訳の専門家でないものが訳したので、文章が堅苦しく、ときとして意味をとれないのも問題がある)。

 とりあえず著者の主張をまとめると、医療に関して3つのレベルの問題がある。
1.医療の現場において。1)有効性のない施術、投薬などが行われ、むしろ生存率を低めている、2)患者の選択肢が限定され、多くの場合、治療方針に抵抗することができない、3)患者の医療費負担が大きく、医師の所得が一般大衆の水準よりきわめて多い、4)人の死に方が人間的でない。
2.医学において。1)製薬、医療機器会社などが有効性のない商品を開発している、2)医師、資本、官僚のトライアングルが形成され、患者から収奪するシステムが作られている。
3.社会について。1)病気になることが悪であるという意識が一般化している、2)労働年齢にあるものの体調不良は1週間の休暇でたいてい自然治癒し、医療行為は不要であるのに、医療費を支払っている、3)患者になるとき医療に決定権や発言権がない。
 著者は近代のシステムに個人の抑圧や画一化志向、資本への強制参加などを見る。例は、学校であり、病院であり、家事である。でもって、そのようなシステムの解体をめざす。というより資本=ネーション=ステートの一体化した国家が運営するシステムを共同体とか社会に還元して、権力が介入してこないようにしようと提案する。それが脱病院化、脱学校化であるのだという。後者の方法はこの本の主題でないし、読んだことがないのでおいておくとして、脱病院化の社会では医療についての産業や政府の介入を極力少なくし、自己ないし家族レベルのセルフケアがなされるべきとする。医療産業のサービスを受けるときには、患者との同意が必要である。医療のレベルや最新技術の導入などは社会的なコンセンサスがなされていから実施に移るべきで、非専門家が議論に参加しなければならない。まとめはこのあたりかな。
 医療の社会学としてみたとき、興味深い指摘はあって、社会は病気を忌避するようになったというのは重要。実際、1週間休めばたいていの体調不良は解消するが、学校も会社もその他の組織もその期間の休暇を容認しない。せいぜい一日。患者の側も健康であるとアピールすることが評価を落とさないことになると考える。だから薬を買い、医者に行き、ふらふらになりながら出勤・通学するのだ。あるいは病者、患者は社会的に忌避される(労働に参加しないから)のであって、隔離・収容しなければならないというのも重要。病院、老人ホームその他が隔離の場所として機能し、そう簡単に人は行きたがらないというのも。逆に言うと、社会が「患者」「病者」とみなした人々は隔離収容するのが当然という意識や施策が生まれるということも。実際に放射線とか自然災害被災者にはそのような隔離収容の視線が被害を受けていない人から生まれているような感じがするし。ここらへんの社会的な規範というか、ルールというか、暗黙の了解が変化しない限り、上記の問題は解決しないだろう。そういう意味ではこの本は資本主義批判を含んでいる。
 資料の古さ、変革提案の抽象性などがあり、ここで指摘された問題が改善され医療制度に反映されているので、この本の主張や指摘は現在有効性を失っているものもある。そのため、この本は自分にとっては不要。問題意識を共有するにとどめ、現状分析や改善案などは最新資料をみるべし。
 以下念のため。これは医療拒否の薦めではないし、まして代替医療の賛美でもないし、医療従事者の不信をあおることでもない。この本を手にして、このような主張をする者がいるとしたら(いないことを願うが)、著者の思想の誤読と誤解。