odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

木田元「現象学」(岩波新書)

 当時(20代前半)、哲学に興味を持ちだして、このような概観書をいろいろ読んだ。この新書もそのひとつだが、なかなか理解できなかった。たぶん別冊宝島現代思想入門(1984年)をてがかりにして読んだのだろう。
 さて、四半世紀振りに読み直して、自分の興味は現象学から遠く離れてしまったなあということ。フッサール現象学的還元にしろ、メルロ=ポンティの身体のとらえ方にしろ、あるいはデカルトの方法的懐疑にしろ、どうも迂遠なように思える。自分が彼らの批判する自然主義的態度でものごと見るのが普通になってしまっているから。あと、現象学から国家の止揚とか持続可能な経済とかを考えるのは、なかなか大変でそこまでいくのにどのくらいの時間を要するのか、見当もつかないなあという感想もあるので。確かに、著者のいうように現象学は考え方の運動でなにかの「真理」や「イデア」を提供するものではないだろうが、参加している余裕はないなあ、という無精な感想です。これは読者である自分の側の問題にあるので、現象学には関係ない話。大森壮蔵がどこかでいっているように、たいていの人が興味を持たない、ないし疑問を持たないことに関心・研究をするひとはいるので。
 興味深かったのは、この小さい本の構成。序文10%、フッサール25%、ハイデガー20%、サルトル10%、メルロ=ポンティ25%、結部10%という割合。サルトルの比率が低い。1970年刊行という時期を見てみると、すでにサルトル関連書物は大量にあったし、実存主義が通俗化していて知的好奇心を満足するものではなかったのだろう。同時にマルクスレーニン主義)への懐疑も起きている。一方、1960年代にはフッサールハイデガーの全集刊行が始まり、講義録や草稿が読めるようになったという学者の興奮が起きていた。さらに、構造主義の運動も紹介されるようになった。こういう知的変動(というかおもちゃに飽きただけなのか)のさなかに書かれたことがわかる。あと著者自身がメルロ=ポンティの翻訳を進めていたことも背景にありそう(みすず書房で出ている)。
 2010年現在でも品切れになっていないことが驚異。これを凌駕する現象学入門(かつ安価に入手できるという条件を含む)はでていないのだね(ただしハイデガーのナチス加担の問題サルトルメルロ=ポンティ共産党との関係については別書で補完してほしい)。このような哲学のサマリを著者42歳で書いているということも驚異のひとつ。