2013/04/09 渡邊芳之 「「モード」性格論」(紀伊国屋書店)-1の続き
この章は「血液型性格診断」の問題を説明。重要なことなので、詳細にまとめる。
第3章 血液型神話解体 ・・・ この「学説」の提唱者は日本人。1930年代の古川竹二という東京師範学校の教授。1970年代に能見正比古という文筆家が復活。「血液型性格学」と提唱。一般には「血液型性格診断」という言葉で知られる。東アジアでは流行しているようだが、その他の国ではほとんど普及していない。
心理学者がこれを信じないのは
1.理論的な理由: 血液型(ABO型に限定)を特定する遺伝子は少数なのに、それが広範な性格に決定的な影響を与えるとは考えにくい。遺伝子の影響力はほかの遺伝子と相互作用することも、性格の多様性を説明する可能性は非常に低い。遺伝要因と性格の関係を直接的に考えすぎている。
2.実証的な理由: 理由を述べる前に「客観的」と考えてみる。客観的であるためには「公共性(ことばや概念によって示される現象が誰にも見える)」と「再現可能性」が必要。で血液型性格診断の主張は「人の性格はその人の血液型とは関係がある」とまとめられる。この主張は科学的。ポイントはこのような「影響がある」という関係命題では反証例を示すことで主張の正しさを確認できない。なので、「血液型と性格の関係を示す客観的で信頼できるデータが数多く存在すること」をその説の「主張者」が提出しなければならない。
しかし、心理学者の側から見ると、血液型論者の出すデータには問題がある。1)データがランダムサンプリングになっていない(血液型性格診断に興味のある層からデータを取っている)、2)回答者の「自己評定」がバイアスを受けている(血液型性格診断の考え方に反映している答えを書いている可能性を排除できない)。そこで、心理学者が(おせっかいにも)代わりに上記の問題が生じないように注意深くデータを集めてみたが、関係があることを示すデータは得られなかった。血液型性格診断が使う項目(A型は周囲の人に細かく気を使う、など)が血液型と関係するかの研究では、関係は示されず、わずかな関係のある項目は別の血液型に当てはまっていたという結果が出た。←ここ笑った。血液型性格診断が示す特長というのは能見さんたちのでっちあげみたいなもんだったわけね。アンケートや性格診断に代わって行動を観察する方法でも同じく関係があることを示すデータはなかった(ここでは観察者のバイアスについて勉強になる)。
というわけで、将来、性格と血液型の関係を証明する方法が発見されるかもしれないが、そのデータをそろえるのは論者の側にある。
血液型性格診断を信じる理由には「人の性格を知りたい、それもてっとり早く」という欲望がある。その欲望がある人は血液型正確診断に飛びつくのだが、
1.血液型性格診断は覚えるのが簡単
2.この国では「血」に遺伝や生まれつきの意味がある→そこからの類推思考が働く
3.血液型性格診断は科学的な装いがある→「血液型」「遺伝子」「性格」という科学用語をちりばめているから
4、血液型性格診断が当たったと感じた経験をもっている(そこにFBI効果が働いているが当人は気づかない)
などが理由になっているだろう。
血液型性格診断の危険なのは
1.B型、AB型のステレオタイプには否定的・マイナス的な評価が含まれている。 → 少数者の差別、排除
2.血液型を信じることで人生の可能性を狭くする → たとえば職業選択のバイアス、ステレオタイプと性格の不一致による悩み、教育現場での刷り込みなど。
著者のいうとおり、血液型性格診断は非科学ではない。ただ、主張を裏付けるデータがないので、科学的主張として認められない、ということ。なので、いずれ「性格」を計測する別の方法、二重盲検などきちんとした測定方法ができることによって、科学であると認められる時が来るかもしれない。そのときに、今と同じ診断内容が生き残っているかは不明(A型は几帳面とか、B型は独立独歩、とか)。まあ、40年以上、診断内容が変わらないままでいるというのは、科学的な手続きが論者の内部で行われていないのではないか、と疑わせるのだけど。
仮に実証されたとしたら(まあ可能性はない)、これまでの心理学および生物学の「常識」がひっくり返されてしまう。性格という形質が遺伝的に決定されているとしたら、ほかの形質もそうであるだろうという研究が盛んに行われ、環境か遺伝かという論争のほとんどが「遺伝」で説明できるに切り替わるだろう。
これが研究の内部であればOKであっても、社会の側は深刻な問題が生じるだろうな。恋愛、結婚、出産など重要なイベントが科学的捜査の対象になるし、否定的・マイナス的な評価の血液型の人は人生のチャンスを失うことになるだろう。ローレンツ「攻撃」に書かれた劣性遺伝子の所有者は刺青をしなさいという主張に根拠を与えることになりそうだ。ああ、なんていやなディストピア。そして混乱と差別の500年ののちに、この国の人々の血液型はある型だけしかないということになるだろう。そうなって初めて血液型性格診断は命脈を絶たれる。差別と排除の根拠を残したまま。まあ、こんな妄想をしてみたくなるくらいに、指摘されている危険は拡大するのだよ、といっておくか。
という生物学の心配は杞憂であるからおいておくとして、ここでは「バイアス」「FBI効果」などについて覚えておきたい。単純化していえば、自分は自分のことを自分で思っている以上に詳しく知っているわけではない。全然単純になっていないな(苦笑)。思い込みとか偏見が根強くあるのではないか、自分にだけあてはまることをだれにでも当てはまることと誤解していないか、世の中の常識(と自分が思っていること)は実は向こう三軒両隣りまでのローカルルールなのではないか、自分は自由意志で判断していることが実は誰かに刷り込まれたことなのではないか。こんなことを省みることが必要。振り込め詐欺に引っかかるとか、カルト宗教に巻き込まれるとか、俺にはカンケーねえと思っていても、あっさりひっかかるからねえ。その逆に、自分の行動や判断が誰かの代弁者になっていたり、他者危害を加えているのではないか、という省みも必要。
血液型性格診断で指摘される問題と危険はほかの場合でも起きる。昨今のキーワードだと「放射線被曝」か。これは田崎晴明「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」(web)でも取り上げているので、併せて読むようにしておく。