odd_hatchの読書ノート

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佐和隆光「市場主義の終焉」(岩波新書) 市場の調整機能に任せられない状況の克服の可能性は「第三の道」。

 まず本書の中身を鳥瞰。2000年10月現在の状況を描写。

序章 市場主義の来し方ゆく末 ・・・ 1970年代末から1990年代末までの市場主義、自由主義経済政策は終わりにしなければならない。市場の調整機能に任せられない状況が様々な問題を生じている。市場主義の克服の可能性は「第三の道」にあるようだ。

2016/07/8 アンソニー・ギデンズ「第3の道」(日本経済新聞社) 1999年

第1章 相対化の時代が始まった ・・・ 1945年から1989年までの政治の対立軸は反共/容共。その後は保守主義/リベラリズムになるべき。しかし、伝統的保守主義自由主義と対立する。そこらへんで保守主義は混乱している(それに「追いつき追い越せ」の次のヴィジョンがない)。
第2章 進化するリベラリズム ・・・ マテリアリズム(物質生産至上主義)は景気対策所得再分配・福祉・雇用・通商・産業政策を重視し、ポストマテリアリズム(脱物質主義)は教育・医療・環境・消費者保護・差別撤廃などの政策を重視する。高度経済成長期および社会主義の興隆期にはマテリアリズムの政策と主張が経済政策と一致していた。しかし、ある程度の生活レベルになり物質を所有できるようになると、価値観はポストマテリアリズムへの関心を高める。リベラリズムはこちらに関心を持ち、ポストマテリアリズムの政策を打ち出すようになる。とはいうものの、1968年体験(@笠井潔)でポストマテリアリズム志向を持ったこの国の人は、1989年のバブル体験でマテリアリズム志向となり、倫理的空白期となる。そのあとポストマテリアリズム志向が高まった、という分析が可能。
第3章 日本型システムのアメリカ化は必要なのか ・・・ 社会・経済システムは時代依存的(という主張は業務システムをITで作る自分には納得。汎用のシステムはたいていの事業では低効率)。日本型システムは高度経済成長期と1980年代にあっていた(これらの時代が「ものつくり」産業が主要であったということは、その20年前のエリート大学生が雇用されたがった産業がのちに成果をだした、ということになるのかな。1990年代のエリートで優秀な学生はどこか特定分野に就業したのだろうか)。日本型システムには問題があるが、代替策であるアメリカ型のシステムがこの国に適合するかは疑問。なお、著者はITが日本型システムを壊すようにはたらくと見ていた。さて、2012年でみると、終身雇用とか年功序列賃金などはITがなくとも壊れたと思う(市場参入の自由化のほうの影響が多きい)が、組織への忠誠度を測り強化する仕組みになったように自分は感じる。これは独自研究
第4章 「第三の道」への歩み ・・・ 計画経済はその不効率と不自由で選択できないし、自由主義は不平等を拡大し不安定な社会となるからダメ。そこでブレア英首相の「第三の道」を提案する。詳細はギデンズ「第三の道」の感想に書くことになるだろう。主張は1)平等な社会、2)ポジティブな福祉社会の実現ということになる。
第5章 グローバリゼーションの光と影 ・・・ グローバリゼーションというが、実態はアメリカの政策や決定を一元的に世界標準とすること。そのとき、経済の一元化と文化の一元化がある。1990年代は経済の一元化が通貨危機を生み出した。911前なので、文化の一元化への抵抗はここでは記述されない。


 以下この本を読んでの独自研究
1.日本型のシステムにおいて問題になるのは、競争参加において不公平があるということになり、インサイダーになってしまえばきわめて居心地のいい組織ができてしまうということにある。この点についての嫌悪は著者や柄谷などに共通していることになる。自分の考えでは、そのような組織を作らないためには、(1)同じ役職にとどまることの禁止(5−10年で仕事の内容を変える)、(2)監査行政の徹底(これまで監査の対象にならなかった官民団体への監査実施)、(3)すべての法人・自治体で財務諸表を作成、を行うことが必要であると思っている。そのことの実現可能性を含めて、検討するべきだろう。
2.この著者は、法人組織の外部にいる立場での資本主義批判である。自分は法人組織の内部にいる存在として、資本主義の論理をいったん受け入れる立場にあって、それを批判・解体する仕事を行うことになるだろう。しかし、資本主義が人を絡み採っていく仕組みというのは非常に強いところがあり、このやり方が貫徹できるかは十分注意しながら行うことになるだろう。
3.職業選択における目的は、金や名誉や権力ではなく、「自己実現」であるべきと主張する。なかなか耳に心地よい。他者による自己承認とか賞賛、他者の利便に貢献、などがその評価になるのだろう。さて、自分の短い職業生活では、あいにくのことながら他人の仕事を賞賛したり高評価したりすることはめったにないし、逆にその種の評価を受けることもめったにない。ようするに、評価するのは上司くらいなものだ。たいていは他人の仕事は納期通りに要求した品質のものが納品されればOK、それに評価をくだすことなどめったにないよ、ということ。他者評価や自己実現を仕事の目的にすると、それは達成されない。そうなると、仕事を継続することのインセンティブは「毎日やっても飽きないこと」になるだろう。クライアントのクレームがあったり、解決困難な課題があっても、とりあえず仕事に取り掛かることができるような仕事。それがいいんじゃないの。自分がやっているSEの仕事も好きだからやっているわけではなく、品質に高評価を得ているからやっているわけでもなく、たんに毎日やり続けられるからやってるのだ。というわけで、仕事についてあまり他者評価とか自己実現とかいわないほうがいいんじゃないの。宇井純がいうように「10年続けていれば世界の最先端」になれるんだから。10年やってもあきないし、まだ続けられる仕事につけるのがいいよね。
4.初読のときはとても感銘したが、今回はしらけるところがあった。まあ、2000年初出の本を2012年に読んだのだから、アクチュアリティがあるとは言えない。とりわけ経済は足が速いから。第三の道社会民主主義を掲げるこの国の政党はいくつかあったが、とてもこの本の要求にかなう政策を提案できていないことと科学技術の知識に乏しくて根拠のない主張を政策に組み入れること(ついでに経済学の基礎知識を持っていないようであること)などで、失望感が大きいことがある。また、「国家」という枠組みは、経済を解決するには小さすぎ、福祉を解決するには大きすぎるようにみえること(逆に司法を実行する規模としてはよいのだろう)。なので、自分としては「第三の道」は国家解体、世界共和国へと続いていくべきだと思うのだが、いかがかしら。あとは、能力主義や自由競争が世襲で形骸化することを防ぐために、企業の定年制と相続税の廃止を考慮するべきのように思う(これを自分の主張とするほど勉強と確信が足りない)。