odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

笠井潔「哲学者の密室」(光文社)-1

 1975年初夏のパリ。今年は冷夏と思われる寒い日が続く。現象学の権威ハルバッハ教授がパリを訪れ、講演会や対談を行っている。高齢のため最後の外遊と思われ、哲学科の学生ナディアは彼に興味を持ち、主著「実存と時間」を読んでいた。

 さて、フランス屈指の財閥ダッソー家、通称森屋敷から警察に連絡が入る。長期逗留しているボリビアの実業家が事故死したという。しかし死体には頭部に撲られたあとがあり、背中には心臓に達するナイフが刺されていた。それに、逗留している部屋には家具がなく、外部から施錠され、窓も高所にしかなく、ベルト・ネクタイが部屋になかった。そこで死者は監禁されていて、殺害されたという見方が有力になる。しかし、この巨大な館の事件の起きた部屋は、3階にあり、外から施錠され、窓から侵入することは不可能だった。外部に通じるのは2階に下りる階段のみで、ダッソー家の主人とその友人である医師、年金生活者、学生が監視しているた。しかもこの森屋敷の1階玄関、および周囲の塀にある門は執事や庭師によって施錠されていたのだった。三重に封鎖された密室から犯人は見事に逃げ失せている。
 さて、このダッソー家に集まった人にはひとつの共通点がある。現在の主人フランソワの父そして医師、年金生活者はナチス絶滅収容所コフカにとらわれていたユダヤ人であった。若い学生の父は同じ経歴をもつラビである。そして庭師はナチス崩壊時にチェコからフランスに亡命し、フランソワの父エミールとの交友で雇用された経歴を持つ。そして、ナディアの通う大学で現象学を講じる教授エマニュエル・ガドナスもまたコフカ収容所にいて、医師やエミールとの知り合いでもあった。
 そしてボリビア人の素性を手繰っていくと、ラテン系の名前であるにもかかわらず、ドイツ人の特徴をもっていて、わきの下にある火傷はかつてナチスの高官であったことを隠すための所業と思われた。そして、ダッソーと招待された人は、コフカ収容所の逃亡した所長の行方を追う私的な組織であり、監禁されたボリビア人は収容所所長ヘルマン・フーデンベルクであると判明する。
 ここでコフカ収容所の最後が語られる。東部戦線の前線に近い収容所には1945年1月当時500人の囚人と80人の看守がいた。ソ連軍の侵攻運動が激しいという情報から、ハインリヒ・ヴェルナー少佐が収容所爆破の指令を持ってくる。ヴェルナーとフーデンベルクはかつてハルバッハ教授のゼミに参加していて、旧知であった。収容所に到着した少佐の行動は不審であり、ガス室・死体処理設備には興味を持たず、食堂や兵器庫のありかをしりたがる。一方、収容所所長は極秘に情婦にしているユダヤ人女性が少佐に発覚することを恐れる。少佐はかつて収容所の不正や規律違反を摘発するチームであったから。そして所長は情婦を殺して痕跡をなくそうとして丘の上の小屋に向かう。一方、少佐の部下でありかつての警察官は少佐の命令で兵器庫から小屋に向かい、そこで自殺した情婦の死体と外部から施錠された小屋に残された所長を発見する。検分すると、情婦は自殺ではなく他殺であるが、部屋と小屋が外部から施錠されていて、しかも吹雪のために足跡が残されているが、所長と途中で視察された看守以外のものはない。ここでも三重の密室が作られている。突然、所内で爆発が起こり、囚人が暴動を起こしほとんどが逃亡した。翌日、少佐の部下は少佐の焼死体を発見する。
 ふたつの事件の共通項をあぶりだすと、コフカ絶滅収容所体験ということになる。関係者のほとんどはコフカの暴動に関与していて、次世代の人物も父などの経験者からコフカに関与することを求められている。
 もうひとつは、ハルバッハの現象学。彼の死の哲学は1920-30年代のドイツの若者に熱狂して受け入れられた。その影響範囲はナチスにも及んでいる。その「死の哲学」が絶滅収容所とその運営に関与していたとなるとき、彼の思想は批判的に読まなければならない。ナチスへの関与を否定したハルバッハ教授はダッソー家に入ることを画策する。敵対するもと教え子のガドナス教授に紹介を依頼したのだ。屋敷内の目が彼から離れたとき、老ハルバッハ教授は危険な屋上からひさしにでて、何かを回収しようとするが、足を滑らし転落死する。
 という具合に、事件の謎と同時に、哲学の批判も行われる。読者はその両方を読むことになる。
(続く)