odd_hatchの読書ノート

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トーマス・マン「永遠なるゲーテ」(人文書院) ゲーテ選集の序文でありながら、ゲーテ「神話」を打ち消す内容

 トーマス・マンゲーテを尊敬し触発され、彼を研究して評論や創作を行ってきた。たとえば、
トーマス・マン「ゲーテトルストイ」(岩波文庫) 1922年
トーマス・マン「ワイマルのロッテ」(岩波文庫) 1939年
がそれ。本書は、1948年に書かれた原題「ゲーテに関する幻想」を改題したもの。翌年1949年がゲーテ生誕200年であるのを記念してアメリカでゲーテ選集が編まれた。その序文として書いたものだが、訳者がゲーテ選集の総題である「永遠なるゲーテ」を邦訳題として採用した。当時トーマス・マンアメリカ在住で1944年に市民権を取得している(1952年にスイス・チューリヒに移った)。
 マンはゲーテの影響を強く受けていたものの、全面的な賛同や賛意を示しているわけではない。それは上記の評論や創作をみてもあきらか。ことに、彼の行動性向には感心していないようだ。この序文から読み取れるのはゲーテの偏狭さや傲慢さなど。若い時から好色で淫乱。若くしてワイマール公国の高官に抜擢されたので、貴族主義と傲慢さが目立ち、ほら吹きであり、アルコール中毒と言える飲酒癖をもっていた。民衆や大衆を嫌悪していて、フランス革命に反対。およそ21世紀人からすると、付き合いたいと思える人には見えない。マンはいう。

ゲーテの信念は)どんな事情があっても高貴に生まれついて、幸運児で、貴紳で、世慣れた人間だが、世間の腐敗を憤慨するのは切り抜け方の下手な連中のすることだ、という形而上的確信である。

 革命を成立した民主主義、人道主義啓蒙主義にも反対している。多くの創作で弱者を主人公にしたが、それは自分自身を告白するものであった。「ウェルテル」は売れたが、それ以外は受け入れられなかった。あの「ファウスト」でも(マンはプロテスタントゲーテカソリックに沿う内容にしたこと、主人公がオランダの干拓という功利主義に感動したことを不思議がっている)。ゲーテの生きた時代(1749-1832)は古典主義からロマン主義への転換期、近世から近代への転換期、産業革命の渦中で資本主義の隆盛期。こういう変動の時代にあって、19世紀の新しい時代には古臭い考えの持ち主であったようだ。マンはいう。

彼はこれまでに現われたもっとも包括的な、もっとも全面的なディレッタントのひとりであった、総合的アマチュアであった

<参考> ディレッタント概念について
小宮正安「モーツァルトを『造った』男」(講談社現代新書) 2011年

 という具合に、ゲーテ選集の序文でありながら、ゲーテ「神話」を打ち消すような内容とおれは読んだ。

 さて、トーマス・マンのことを考えると、これを書いた時、ナチスドイツの敗戦から4年。ファシズムは完全に否定するものになっているので、ゲーテを「アーリア人」「ドイツ民族」の統合の象徴として語ることは戦略的にできない。それでも、マンは「ドイツ」を誇りたいようで、たとえばこのような文章がある。

種族の血の作業とでもいうものが、幾世紀にもわたるドイツ人の生活を通じて、偶然まかせに、注意もされずに、普通におこなわれている。
ドイツ気質なるものは、これまた、たくましくて神話的な国民的性格として、ハンス・ザックスやルターの遺産として、彼の本質の非常に力強い要素になっていた

 ゲーテを国民統合の象徴にすえられないとすると、さらにふるいドイツを見つけて、そこに「血」の系統をみようとする。政治的な統合理念を持たないと伝統や歴史に起源を探そうとするのだが、そのやりかたはトーマス・マンにもあった。トーマス・マンゲーテ観の参考にはなる。もっと大規模な批判は「ワイマルのロッテ」のほうがよい。


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