odd_hatchの読書ノート

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山口昌男「歴史・祝祭・神話」(中公文庫) 「中心と周縁」理論の説明と実例。「トロツキー」が罵倒語だった時代に民族学・神話学の用語でトロツキーを描く戦略的な論文。

 1973年初出で、雑誌「歴史」に一挙掲載されたとか。たぶん著者の基本的な考えがまとめられている。「中心と周縁」理論は以下の引用で概要を理解できるので、とても長くなるが引用しておく。自分の備忘をかねて。

「政治権力の究極的なよりどころは生賛を神に捧げるためにこれを殺し、そこで生成される混沌とした状態の中で、犠牲を介して神と人、人と人の区別が取り払われるという考え方は、人類学または宗教学の供犠の理論の中で格別に新しいものではない(P30)」

「こういった浪費と破壊は農民社会におけるカーニヴァルと祝祭においても見られる。カーニヴァルの原則は、経済、言語を含む日常tないな交換体系の停止、食物の極端な浪費、労働の必然性に代わる遊戯の偶然性によって世界を統合する特権的な無時間の状態である。。こういったカーニヴァルの祝祭的な諸特徴は、日常世界では永劫に呪われた不徳になる。それゆえ、カーニヴァルの終りに、これらの不徳は人形に託して焼き捨てられるか、破壊されるかしなければならない。(P49 )」

「鎮魂こそ政治権力の権威の源泉にほかならず、そのための演劇的装置が、裁判、処刑、戦争なのである。民衆を納得させるために、なんらかの意味での「はたもの」を作り出さなければならない。政治的価値が「中心」と「周辺」、「秩序」と「反秩序」という両極性の強調の上におかれている限り、これは避けることのできないほとんど神話的といってよい状況である。権力が「はたもの」を出す能力(法は犯人の前で有罪である)を喪失したら、その時は権力がそのまま有効な「はたもの」の立場に移行する。革命にふられるのはこのような状況であり、かつて老いた王が周期的に殺されたという説話、伝説がさまざまな文化に伝えられるのもそのせいであろう。(P68)」

「人間は、悪の形象なしに、自分の内なる統合感覚を得ることはできない。つまり、それは価値の両極化とでもいい表すことができるものである。『中心』を作り出し、できるだけ象徴的にこの『中心』近くに身を置き、『中心』の対極概念である『周辺』を遠ざけなければならない。しかしながら『中心』が維持されるためには、絶えずあるいは周期的に『周辺』を眼に見えるものにしておかなければならない。政治的に支配的な集団から反逆者として扱われるような個人でも、同志を得ることによって、『未来』を基軸にすえ自らの集団を中心にイメージ化する。したがって、『中心』を『周辺』の関係構造はほとんど変わらずに維持される。/この『中心』と『周辺』は無数の等価物に再生される。しかし同時に人間は、単調さ、不変であること、同じリズムで繰り返される生活のパターンに耐えることができない。そういった状態が重なると、生活は灰色の色調を帯び、無意味なものとなってくる。そうすると、日常生活の価値体系は次第に脅かされてくる。それまで積極的な価値を帯びていたものが光彩を失ってしまう。と同時に、人間が周辺に追いやっていたもの、つまり『中心』と対比するために、片隅に追いやっていた諸事物が、ひとつのまとまりをもって『中心』を脅かし始める。そうしたときに、ただたんにこれらを幻影といって片付けるだけではすまない。なんらかの形をこの『周辺的』な事物に与えて、この事物のもつ活力をこの世界に導入しなければならない(P90-91)」

「『権力者』は、ひそかに――意識的、無意識的に――『紛争』のみが人間の潜在的活力を引き出すことができると考えるために、いかに『紛争』を助長するかということが重要な課題となる(中略)紛争が国外の敵に向けて煽られているあいだには、国内の紛争は回避することができる。ところが国外の敵が消滅するか、協定によって平和が達成するかすると、なんらかの形での敵は国内に見出されなければならない。なければ、つくり出されなければならない。悪意に満ちて、それも強力な敵の存在の承が権力の強化を正当化するからである(P94-95)」

「彼(権力者:引用者注)の理想は、犯罪や叛逆がまったく存在しないということではなく、彼がコントロールできる範癖で存在することなのである。いい換えれば、彼がその中心である政治的宇宙(共同体)が周期的に死と再生の体験を持つことが必要なのである。罪人は、共同体を戦懐させ、共同体の精神的な穂れを負わされて消滅させられることが、彼が中心である共同体の原理の確認になるのである(P100)」

「 政治的世界における鎮魂の術は、(1)『生贄』を選び出して共同体の罪と穂れを吸収させるために罪の告白をさせる、(2)これを破壊する、という二つの過程を含む(P102)」

 この後に書かれる著者の本は以上の主題のさまざまな変奏ということもできる。なので、まずこの本で概要をつかんでおくと便利。

第1部 鎮魂と犠牲
ガルシア・ロルカにおける死と鎮魂 ・・・ スペイン市民戦争で殺されたガルシア・ロルカのジプシー(ママ)とメキシコへの親愛。カーニバルの死と再生の象徴。生の高揚感を死の虚無を同時に感じ取る詩的弁証法
祝祭的世界(ジル・ド・レ) ・・・ 神事においては天から来る神を迎える台(さずき=座敷)が必要で、その上におかれる「はたもの(=スケープゴート)」は天の神に指定されたものでなければならない。で、王子はプラスの地位があるから、マイナスの運命をたどることになる。そこにバロック的な祝祭空間を組み込んだ稀代の「はたもの」としてジル・ド・レをバタイユを介して紹介。似た例としてシェイクスピアファルスタッフもあげる。
日本的バロックの世界(佐々木道誉織田信長) ・・・ この国のバロック精神の担い手として章題の二人をあげる。キーワードはバサラとカブキ。風流とは日本的バロックのいい。あと、「花は、古来日本人にとって『死と再生』のイメージの担い手、『生贄』と復活する神の二重の表現なのである(P73)」とのこと。
犠牲の論理(ヒットラーユダヤ人) ・・・ 上記のサマリーの引用はほとんどここから。権力者によるハタモノの告発、告白、破壊を自身の身振りと言葉、およびマスコミの有効利用(そこにはこのようは象徴的な政治の一端を自発的に担っている)で実現した政治家として、ヒットラーを上げる。


第2部 革命のアルケオロジー
「ハタモノ」選び/空位期における知性の運命/スターリンの病理的宇宙/トロツキー記号学/神話的始原児トロツキー/メイエルホリド殺し
 上記の政治的「ハタモノ」選びと犠牲の供与の例としてトロツキーをあげる。初出年に注目。反スターリン主義を標榜する政治結社はあっても、トロツキーの著作はほぼ読むことはできず、既成左翼においては「トロツキスト」は最大の罵倒語であったのだ。そのような時代にあってトロツキーを取り上げることもなかなか難しい。左翼の用語でなく、民族学・神話学の用語でトロツキーを描くというのは戦略的な方法だと思う(既成左翼の批判を回避するためにね)。いまは、トロツキー岩波文庫光文社文庫、中公文庫に著書が収録され、もしかしたらレーニンスターリンの本より入手しやすくなっているので、1970年代の状況はわかりにくくなっているかな。
 たしかにトロツキーはたいした天才で、組織家・プロジェクトリーダー・軍事・雄弁・文芸評論その他で多くの才能を発揮した。自分の趣味に焦点をあわせると「文学と革命」の記載にびっくりした。政治家で革命家であるものが、これほどよく文学を愛好し、ロシア・アバンギャルドやフォルマリストに理解していたなんて。ただ、政治的な寝わざを使えなかった。しかも狷介で激烈な感情を示し、他人に皮肉と辛らつで向い、一方でひきこもりがち。こういう性格のために、演説で労働者を扇動するのは優れていたが、仕事仲間からは徹底的に嫌われた。レーニンを敬愛し、レーニンの庇護のあるときには才能を全開したが、レーニンの政治的引退(病状悪化)で独り立ちするべきときに、政争から一切手をひいてしまう。そのときにはスターリンに勝利できるカードと機会をもっていたのに。このような特徴が、政治的な「ハタモノ」に祭り上げられスケープゴートにされた。彼が抗争を開始するのは、勝利できるカードと機会を一切失い、海外に亡命してから。晩年に書かれたものの多くは、自己弁護とうらみつらみと他者非難がたくさんあるので自分には面白くない(「ロシア革命史」を除く)。
 このような犠牲の祭儀は政治的に行われるものであり、トロツキー以外にも同様の事例を挙げられるに違いない。この国でも大久保利通vs西郷隆盛東条英機vs石原莞爾三木武夫(?)vs田中角栄みたいに。他の国の革命にも同様の事例を見る事は可能なので、いろいろ試してみるとよい。また、このようなスケープゴート探しとフレームアップにマスコミとメディアが果たす役割を見ることも重要。
 さて、もう一度自分の関心にもどると、この「中心と周縁」理論は後進資本主義国や家父長制の色濃く残っている地域を理解するのにはすごく便利。1980年代の中南米文学には、この理論を適用して説明できるものがたくさんある。この国の古い文学や文化、古代の政治などもそう。でも、熟成した資本主義国家、アメリカやEUみたいな統合国家をこれでもって説明するには不十分。むしろ神話化することによって、現実の問題や責任を隠すことになるのではないかな。

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