odd_hatchの読書ノート

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ユリウス・フチーク「絞首台からのレポート」(青木文庫)

 ユリウス・フチーク「絞首台からのレポート」は出版にいたる状況が感動的だ。一九四〇年代、チェコスロヴァキア(当時)の文芸評論家にして共産党党員である著者は、ナチス政権支配下チェコで逮捕される。拘禁された収容所(拘置所かは不明)で、彼の状況に同情した看守あるいは抵抗運動シンパの看守によって紙と鉛筆が差し入れられ、収容所の出来事や運動の思い出を書き綴る。彼が処刑される三カ月前までそれは続けられた。紙はすこしずつ看守によって運び出され、いずこかに保管された。戦後、それらのノートがまとめられ、出版されるに至る。

 ここには限界状況において、他者のために自らの命を捨てた男の行為が書かれている。逮捕された後、自分の参加する組織のメンバーを公表するように迫られる。もちろん命と引き換えにという飴も用意される。しかし、彼は決して同志の名前を公表しない。彼以外にも多くの人が抵抗運動に参加し、同じように虐殺されている。ここでの主題は、自分にとって不利益であることを承知の上で、モラルを遵守しようということだ。もちろんそれはきわめて厳しい決断を強いられるもので、本の中にもかかれるように自分に課された不利益(拷問)に屈して、仲間を売ることをしたものもいる。著者は、収容所(あるいは拘置所)の取調べ中に、彼を売った男の名前を知ることになる。そこで彼は、裏切ったものをなじるのではなく、同情することができ、彼を許すことができる
 当時のチェコナチスによる占領下にあり、傀儡政権が発足していた。そこにはチェコ人による抵抗運動も存在していて、抵抗運動に関わるものを逮捕・拘禁・拷問する人間もチェコ人であった。看守の側にはナチスに同調するものもいれば、無職で食い詰めたために職に就いたものもいれば、囚人と過ごすうちに彼らの運動に参加するようになったものもいる。この国では戦時下の共産党員をめぐる「転向」論争があったが、上のような複雑な事態にあるチェコでは、この国の「転向」論争は有効であるのだろうか。
 一方、このような他国の占領軍と地元にできた傀儡政権、そして抵抗運動団体という構図は、ずっと古くの紀元元年前後のイスラエルでもあったことだ。当時のユダヤ教とローマ支配を批判したイエスは著者フサークと同様に捕らえられ、拷問を受けた。そのような状況でイエスは、「右の頬を打たれれば左の頬も差し出せ」「上着を取るものがいれば下着も差し出せ」といった。この言葉は、著者フサークが直面した限界状況においてモラルを実行することを支援する・是認する・根拠付けるものである。そして多くの人は、著者およびイエスのような選択をすることは容易ではない。そうしてみると、二〇〇〇年前に書かれた書物のモラルは、充分現在においても過激で、根源的なものなのだ。
 もうひとつ悲しい気持ちにさせられるのは、背景にでてくる多くの凡庸な人間たちだ。一九三〇年代冒頭の世界恐慌は、ここにも深刻な影響を及ぼしていた。しっかりした経済基盤と安定した政権を持たないこの国では、一九四〇年ちかくになっても景気が回復していない。そのために農村から大量の無職者が都会に出てきている。そこへナチスによる併合が起こり、ナチスは植民地支配の図式の通りに、現地の人による政権を作り、その組織を維持する組織に現地の人を採用する。そのために、秘密警察や収容所看守にチェコ人がなり、彼らがチェコ人の迫害に手を貸すことになる。そこには積極的に参加したものもいれば、ただたんに「食う」ことができないからその職についたというものがいた。後者の方が圧倒的に多かった。ごく一部のものはフサークのような政治犯に同情的でシンパ活動をしたが、多くのものは無自覚に「悪」に加担することになってしまった。(フリッツ・ラング死刑執行人もまた死す」がこのような状況を映像化している)。
 多くの思想や哲学が挫折するのは、迫害や強迫がおこる現場なのではなくて、「食う」ためという生活の場面であるのだろう。仕事や研究を続ける動機付けは、思想や哲学や理想、理念にあるのではなくて、とても単純な生活のためであるからだ。生活のために、過去の思想や理想が裏切られることは頻繁に起こるものだ。