元本は1983年で、82-83年にかかれたもの。例外がふたつあるらしい(と解説に書いてあった)。
銀座の児雷也 ・・・ 昭和11年。コロムビアの日本支社はハリウッドの脚本家を招いて、ロケハンをすることになった。案内の哲夫は銀座の縁日で射殺事件に遭遇する。被害者はやくざの一員で背中に児雷也の彫り物がある。奇妙なのは、人差し指をあげて指差したこと。刺した方向からは手掛かりはない。抗争中のやくざが同じ拳銃で射殺されて、今度は指二本で何か指している。そこで脚本家エラリイは哲夫といっしょに考えにふける。どうもこれはこの国の習俗にあるらしいというので、デッドエンド。喫茶店で頭をひねっているところに、洒脱な老人がヒントをくれた(とても意外で、しかし史実にぴったり合う)ので、一気に解決。
黄ばんだ写真 ・・・ ドイツで魔法書を買ってきた友人に、古い黄ばんだ写真のいい女を呼び出す魔法をかけてもらった。これで、離婚した妻がいなくても大丈夫、なはずだった。
葡萄ジャムのあき壜 ・・・ 妻を殺して首を葡萄ジャムのあき壜につめておいた。そしたら、死体が遠くで発見され、刑事が調べに来て、だれか男の声で首を返せという電話があって。恐怖する対象が闇そのものではなく、闇からのコミュニケーションに変わったのだなと思った。
あかにし屋 ・・・ あかにし屋はけちん坊の意。そういう男は働きもせずに、奥さんを使って生活していて。でも、別の男に情が移ったようで、困る。あかにし屋も何か考えないといけない。おかしな形だが、心身二元論の世界では美しい愛の形態だな。
幽霊コンテスト1965年ころ ・・・ デザイン事務所に勤めている20歳の「あたし」が帰宅中、車の中で頭を殴られ絞殺されて。なんでそんな目にあったのかわからないので、霊界探偵・小角探偵(名前に注目)と捜査を開始。なれない霊界からでは人間界の事情を調べるのにてまどって。デザイン事務所には所長他4名。ヴィーナス化粧品のコンペに当選したその日のできごと。幽霊が自分を殺した相手を調べるのがミソ(加田伶太郎によるとT.B.オサリヴァン「憑かれた死」が同じ趣向とのこと)。あと、ナラティブが若い女性で、ずっとのちのコーコシリーズにつながりそう。
おなしな来訪者 ・・・ 大手広告代理店のCD・北郷進治(シンジという名前、作者は好きなんだな)に貧乏神、探偵、サンタクロースがやってきた。ふつうのオチにしないための工夫がさえる。1980年代の記号化したファミリー(仕事に熱心な父、美しい母、元気で利発な子供)が登場。暖炉もある広いダイニングもある家というのも、当時の幸福の記号。
今昔日比谷界隈 ・・・ 戦中(中学生)、戦後(高校生くらい?)、現代(40代くらい)の日比谷の思い出。当時の風俗と一緒に語り手の人生が浮かび上がるのが見事。
この半年 ・・・ ショートショート集。怪談会/宵山/八月十五日/西鶴忌/菊人形/酉の市(まち)/クリスマス・ストーリイ
二枚舌 ・・・ 「御亭主のための料理教室」のチラシをみて、女房を殺す特別料理を習いに行く男。「パタリロ」に同じような話があったので(センセーのが先)、落ちは読めたけど、楽しい。
仕込杖 ・・・ 父の情婦と寝るところに父がやってきて、そこから逃げ出して、スナックでママの亭主が刃物をだして。曖昧なところに落ち込んでいく。
角の二階屋 ・・・ 角の二階家に住んだことがある記憶があって、そこに忘れ物がるから取りにいって。
鏡の女 ・・・ 女が裸になると、風呂の鏡の中から若い女が出てくる。
贈り物があるの ・・・ 赤ちゃんができたのをどうやって男に伝えるか、という話のあと、心当たりのある青年が同じことを言われた。
アッシャア家の崩壊 1963年ころ ・・・ 副題が「モダン・ジャズのフィーリングで再構成したE・A・ポー」。ボリス・ヴィアンが書いたらこんな感じ。
See Them Die ・・・ 頭韻を踏んだ滑稽詩。谷川俊太郎のような言葉遊びの詩だな。
後半にのちの「ふしぎ小説」に連なるような作品が集まっている。枚数が短いせいもあるのだろうが、現実が歪んでいくのが早いので、読者の状況把握が追いつかない。こういう趣向のはショートショートだと短すぎるのだね、
センセーが50代の作品で、登場人物もまだまだ活動的。このあと大病をしたり、60代に近づいてくると、老いや死が切実なものになって、小説の雰囲気が沈鬱になったり、登場人物が覇気をなくしたり、諦念にとらわれたりするようになる。ここでは、まだまだ登場人物は意気軒昂で、死も抽象的で遠い先にあって回避できるように感じている。なので、諦念や感傷とは無縁。元気がでる。
そういうところに目が向いて、楽しめました。