odd_hatchの読書ノート

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岩田規久男 「「小さな政府」を問いなおす」(ちくま新書)

 2006年初出で構造改革郵政民営化などを「小さな政府」を進めた小泉政権の政策を検討する。そのために、「小さな政府」のアイデアの由来と具体的な事例も解説する。

第1章 「大きな政府」へ ・・・ 大きな政府が求められるのは、1)貧困層の増加→所得再分配政策、2)失業→減税と公共投資、3)独占にある。ここで大きな政府とは、民間の私的な経済活動にどのくらい政府が介入するかで見る(公務員比率や政府の支出撫でで見るのではないことに注意)。
第2章 知られざる戦後日本の社会主義革命 ・・・ この国で大きな政府になったのは、1970年代の田中角栄の政策。そこでは、1)社会保障の増大、2)地域格差の縮小と工場再配置(そのための地方交付税補助金)、3)農業・中小企業・零細小売業の保護、であった。これらが生産性の上昇を妨げ、財政赤字の拡大になる。田中角栄の政策は「社会主義革命」といえる論者もいる。
第3章 新自由主義の台頭ー「小さな政府」の思想 ・・・ フリードマンに始まる新自由主義(ネオ・リベラリズム)の解説。経済的自由と自発的交換の確保が重要とするが、独占や排他で経済的自由が損なわれる時、政府の役割が発生する。たとえば、取引ルールの制定、監視とペナルティの権限、外部効果や情報の非対称性など(市場の失敗)が発生するときの介入、など。
第4章 結果の平等か機会の平等か ・・・ 結果の平等は公平な所得分配を目指すが、ルールや運用に問題があり、効率性とトレードオフになる。機会の平等はおもに教育の機会や質の差異をなくそうという考え。いずれも所得や機械に恵まれない人には政府が介入する。
第5章 「小さな政府」への闘いーサッチャー改革からブレアの第三の道まで ・・・ イギリスの「小さな政府」の事例。英国病の治療でサッチャーが1979年に政権につく。新自由主義政策で、生産性向上とインフレ率の低下を実現、格差拡大と失業率の増加を招いた。長期的には後者の問題は縮小している(2006年現在)。1997年の労働党ブレア政権も「第3の道」と社会民主主義を主張するが、政策内容はサッチャー路線を継続。
第6章 スウェーデン福祉国家の持続可能性 ・・・ スウェーデンの「大きな政府」の実例。高福祉・高負担、比較的平等な所得分配(同一労働同一賃金)、完全雇用の達成。仕組みにあるのは、政府雇用が大きいこと、働いていないと福祉を受けられないこと。1990年代初頭のバブル崩壊でマイナス成長もあったが、金融支援でいち早く立ち直る。しかし高齢化が進み、このモデルが持続可能かはまだわからない。
第7章 日本の「小さな政府」への挑戦と挫折 ・・・ 1980〜2000年までの「小さな政府」への改革の歴史。対抗や抵抗はいろいろあったが、公共事業の民営化、規制緩和、税制改革などの実績はある。改革で重要なのは首相のリーダーシップ。
第8章 小泉改革/第9章 「小さな政府」と格差問題 ・・・ 2005年当時の小泉政権の「小さな政府」の評価。生産性向上のための構造改革はある程度評価。でも遅きに失したのも、中途半端なのも、意味のないのもある野で、要検証。財政政策はまったくなし。そのため経済成長がなく雇用の拡大もないので、構造改革が国民の生活に反映されない。ことにデフレ放置がダメ。デフレ脱却による経済成長で個人・世界格差は縮まるが、地域間格差は拡大する可能性がある。
 著者の提案は、デフレ脱却のリフレ政策のほかは、過剰な地方優遇政策の見直し(行政サービスの質と量の均質化を目指しているが成長率低下=高コストの原因になる)、と地方分権の強化、就業機会を増やすための就業支援プログラムの充実、社会保障の選別制度の導入、文部科学省の教育への介入の縮小など。


 「小さな政府」という字面から公務員が少ない・歳出が少ないというイメージになってしまうが、ここでいう「小さな政府」は民間の私的な経済活動にどのくらい介入するかで測られる。第2次大戦後のこの国は、民間の私的な経済活動には介入してきていて、政策の上では「大きな政府」だった。そこに「結果の平等」をめざす社会民主主義的な政策を取りれたのは田中角栄から。この人は自民党の本流といわれる人たちからは嫌われたが、当時はパーソナリティや個人的なやり方にあるかと思ったが、そうではないのだね。都会の個人主義と競争的自由市場をつくるのを目指す党に、田舎の互助会や青年会のような共同体主義頼母子講をつくろうともくろんだのだからね。田中角栄はほかの理由で失脚したが、彼の「社会主義政策」は生き延びる。おかげで、全総で工場を誘致した地方都市はいまは不景気と人口減・高齢化で大変なことになっている。自分の見た例は大分や新居浜、北九州など。
 さて、サッチャーネオリベラリズムはこの本では成功例に書かれ、またヤーギン/スタニスロー「市場対国家」(日経ビジネス文庫)でも同様の高評価。しかし、地域間格差や個人格差、マイノリティの貧困化などで、逆の評価をする人もいる。最近サッチャーが亡くなったが、その葬儀では彼女を侮蔑する行動が見られたものだ。
 小さな政府といえど、市場では採算のあわないサービスは行政が行うことになる。その点では政府が無くなることは当面想定できない(アナルコキャピタリズムではどこまで民営化を徹底しようともくろんでいるのだろう)。経済成長が高く維持できればよいのだが(ここで脱線すると経済成長は資源浪費、大量消費、エネルギー浪費でなければ維持できないというわけではない、省エネルギーや省資源の財やサービスを購入することでも経済は成長する)、高齢化・少子化が進行中。歳入が減少し歳出が増える事態が2050−70年ころまで続くわけだ。その間の混乱をどのようにのりきり、ソフトランディングさせるかということが課題になる。そのための具体策はこの本におおよそ提示されているのではないかしら。
 別の本に書かれたことを追加すれば、行政の長いプロジェクトや公共サービス、投融資、予算分配などで失敗した責任を政治家、官僚がとる仕組みを追加しましょう。政治家や官僚の失敗が将来の収入に影響したり、天下り先がないなどに直面するようになれば、競争的市場の考えを行政サービスに取り込むことも可能ではないかなあ。
 あと、著者は持続的な経済成長のために多少の地域格差が生じるのをやむを得ないとみなす。税収の少ない地域では行政サービスの質や量を減らすのも仕方ないとする。念頭にあるのは、使用されない箱ものや道路、鉄道だと思うが、自分ら素人にはライフラインまで縮小するような誤解を生む。読者は注意しておこう。さらに、頭の良い学生がそこそこ収入の良い勤め口を探すと、役所しかない地域もある。となると、優秀な若い人を都市に向かわせる「集団就職列車」みたいな支援をするのがよいのだろう。それによって過疎、限界集落が増えるから、県や国レベルのコンパクトシティ化を進めることになるのだろうか。よりよく生きる社会を構想するのは大変な作業だ。