odd_hatchの読書ノート

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広井良典「定常型社会」(岩波新書) インテリで資産もちの考えたゼロ成長社会到達プログラム。2001年に書かれた後のアベノミクス失敗で実現性はなさそう。


はじめに─「成長」に代わる価値とは ・・・ 経済成長に代わる社会の目標を「持続可能な福祉社会/福祉国家」とする定常型社会を提案したい。
(ここでいきなりひっかかる。定常型社会ではゼロ成長社会となるのだが、その場合福祉や社会保障の源泉になる税収はどうなるのかな。金利一定、物価一定を前提にしても、ゼロ成長では失業が増加してしまわないか。失業者を減らすとインフレになって、実質成長率は上昇するのではなかったかな。また、経済成長は必ずしも資源浪費・エネルギー浪費・大量消費を意味するわけではない。このあたりの経済学の議論と相反するような気がするのだが…「ゼロ成長」とカッコがついているから、比喩なのだろうか。)
第1章 現代の社会をどうとらえるか─環境・福祉・経済 ・・・ 自然から共同体が離脱し、さらに個人が離脱・自立するという歴史的な過程で、環境と社会保障が問題として表れた。それを支援・補完するためにそれぞれの政策が始まる。
(ここはマルクスの疎外論に似ていて、自分には面白い。)
 この国では社会保障制度は理念の実現ではなく、経済成長による分配問題として表れている。大きな政府vs小さな政府は西欧では理念の対立であるが、この国では左右党派の対立軸になったことはない。田中角栄以降の社会保障制度も、経済成長を前提とした配分問題で、「一党独裁システム」がずっと継続している。
(この説明はいいんじゃないでしょうか。「はじめに」に対する自分の疑問の答えがありそうだったが、見当たらない。需要=人間の欲望は無限に拡大可能か、という問題が重要という指摘くらい。)
第2章 個人の生活保障はどうあるべきか―ライフサイクルと社会保障 ・・・ 詳細は「日本の社会保障」を参照。この国の社会保障の特長は、1)社会保障給付が諸外国より定率(1993年)、2)年金の比重が高く、失業と子供が低い、3)制度が複雑、4)インフォーマルな保障に頼る(会社や家族の支援)。是正するには消費税、相続税環境税の制度を変更するのがよい。あと、高齢者は賃労働にこだわらず、ほかの社会参加を目指すべき(隠居もよいありかた)。
社会保障については、いいんじゃないでしょうか。)
第3章 福祉の充実は環境と両立するか―個人の自由と環境政策 ・・・ 社会保障を充実させると人件費の増加と資源浪費になるという批判があり、そうなる可能性もあるので、社会保障環境政策の統合が必要。国レベルでは税制改革(環境税の導入)、地域レベルではコモンズの形成、世界レベルでは国家の協調が必要。その前提になる考えは、個人の機会の平等と潜在的な自由の実現が目的であるということ。そこでは同時代の個人のみならず世代間の機会の平等を継承することと、環境破壊のない経済・社会の実現が必要。
(個人的には共同体・コミューンやコモンズというのがとても苦手で参加しがたいところがあるので、コモンズやコミューンを強調するのは自分にはどうにも耐え難い。多くの人はそこで自己実現表現の自由を獲得するだろうというのはわかりますが。またコミューンやコモンズの形成は自然発生的には起こらないと思うので、組織者や起業家がいると思うがそういう人々の教育や支援制度はあってもいいだろうな。)
第4章 新たな「豊かさ」のかたちを求めて―持続可能な福祉国家/福祉社会 ・・・ 成長には、以下の問題がある。1)外的限界(資源、環境など)、2)内的限界(成長や所有を価値とする行為)、3)分配。なので定常型社会は、次のような特徴を持つ。1)物量、エネルギーの消費が一定、2)量的拡大を価値や目的にしない、3)変化しないものに価値を置く。まあ。マクロの規模や水準が一定である社会だ。そのためには時間観が変わることが必要で云々。


 あれ〜。初読のときにはずいぶん感心したものだけど、経済学の本をいろいろ読み漁ったいまだと、熱は冷める。
・需要の話を取り上げているけど、供給の側の生産性の向上やコスト低下についてはどうみているのか。ここらの改善には投資が必要で、ゼロ成長ではその資金が確保できないでしょう。上記のように失業が増加するから社会保障の資金も減る。さらに、マクロ水準や規模を一定にするというのだが、現在の貧国はどうするのかな。現在のような飢餓や格差の大きいまま、彼らのマクロ水準や規模をそのままにしろというのかな。ではないとすると、貧国には経済成長が必要で、社会に貯蓄がたまらないと教育や保障など潜在的自由を実現する政策がとれない。
・定常型社会に至るまでの国家の役割が不明瞭。定常型社会では経済成長を目指さないから中央集権システムは不要になるというが、ではどこまでを国家の役割にするのか。国家や行政の経済政策や財政政策はうまく働かないと、デフレで不況で、マイナス成長になるのだが。
・最終章では定常型社会では、価値の変更が必要とされる。まあ、労働や仕事で会社か家族かだけをフォーカスするのではなく、コミューンやコモンズに参加しろ、その際、豊かさや時間などの価値が変わるという。このような意識の変革が社会を変えるという考えは俺は取れない。国民に意識の変革を要請するというのは、最悪の独裁国家になる。そうではなくて、具体的な行動プログラムに参加して、行動パターンが変わるほうがまし。
 インテリで資産もちの考えたプログラムだなあ。もちろんこの小さな本では、著者の考えを十分に提示しているとは思えないが、それを追いかける気にはなれない。