odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

広井良典「日本の社会保障」(岩波新書) 個人の参加をもとにしたネットワーキング共同体で共助社会を作ろうと提言。でも政府と厚労省は核家族に負担を押し付ける。

 元厚生省官僚で、執筆当時の1999年は大学助教授(当時の呼称)。社会保障のありかたを原理までさかのぼって考察する。

第1章 福祉国家の生成と展開 ・・・ 社会保障の制度は19世紀に遡れるものもあるが、現在の制度は戦後。戦後の経済成長の間に各国で採用された。社会保障も、普遍主義モデル・社会保障モデル・市場重視モデルと国家と市場で役割を分担する場合があり、国によりどのモデルにするかは千差万別。あと社会保障は市場外の制度を市場化してきた側面があり、経済効果に寄与する考えがある。現在の社会保障の問題は、規模と内容と財源について。社会保障は経済成長の疎外要因であるという批判と、環境負荷を増大するという批判がある。
(この国では、キャッチアップ経済とピラミッド型の人口構成、コミュニティの相互扶助などで、社会保障は1970年ころまでは大きな問題ではなかった。経済の成熟化と低成長、少子高齢化核家族化などで、高度成長を前提とした社会保障制度ができなくなったのが1990年以降の問題。)

第2章 日本の社会保障―その軌跡と問題点 ・・・ この国の社会保障は後発国家として設計された。その特徴は、1)社会保障モデルから普遍主義モデルに移動して両者が折衷されている、2)医療保険から年金に重点が移り、システム外の保証である失業や生活保護が薄い、3)国が保険者となり、4)非サラリーマンを取り込むようにした、など。今後の展望は、所得再分配の分野、対人社会サービスの分野、財政や運営を私にゆだねてよい分野を明確に切り分けること。
(この国の経済成長と人口構成の変化のタイミングが偶然うまくいった。1973年からの不況や福祉国家政策の時から、新規労働就業者が減ったので失業問題が生じなかった。イギリスほかのヨーロッパは若年失業者問題が長年大きかったからなあ。そのぶん、この国は少子高齢化の対応が遅れたことになる。)

第3章 社会保障を考える視点(市場と政府―経済学的視点 ・・・ 社会保障には市場の失敗を是正する機能もある。とすると所得再分配とリスクの分散のふたつの機能を考えることができ、前者(年金基礎部分や老人医療)は税で公正性を確保、後者のうち市場の失敗を是正するのは(若年医療)は社会保険で、市場で失敗しにくいのは(厚生年金の2階建て部分とか老人医療)は民間で、というのが著者の考え方。
 社会保障保護主義ナショナリズムのあり方に思えるが、グローバル化や環境問題などで国境や国家を超える。とりわけ人口は世界的な高齢化が予測され、収束点や定常状態を視野に入れた社会保障の在り方が考えられなければならない。そのとき、国家の枠組みを超えた福祉世界のような統合世界がありうるだろう。
(ここで共同体の重要性を説く。アルペン社会保険みたいに相互扶助、協力の関係でできた保険制度があるみたいに、社会保障に共同体の機能を強化しようというわけだ。この議論が困るのは、多くの人は家族、会社、地域、クラブ…みたいにたくさんの共同体に参加していて、両立しがたいということ。たいていは調整可能。でも介護なんかが発生すると、会社という共同体から抜けないといけなくなり、地域の共同体とは疎遠で支援されないということが起きる。ライフスタイルや年齢に応じて所属を変えろということになるのか。そういう困難はどう考えているのだろう。それを克服した先にある福祉世界であるが、これが内部に抑圧をもたらさないようにしないといけない。さてその保障や担保はどこにあるだろう。)

第4章 これからの社会保障―理念・選択肢・方向 ・・・ 社会保障は経済化で解体される共同体を再度社会化する働きといえる。再構成される共同体は個人の参加をもとにしたネットワーキング。


 社会保障という考え方を経済学だけではなく、倫理や生物学の知見を交えて考える。俎上にあがるのはロールズの正義論(著者の正義論批判は面白いので、いずれロールズの議論を読んでから考えたい。簡略にまとめるとロールズは合理的利己的な個人が無知のヴェールで情報ゼロになったときに、社会を構成するときにとる規範や正義というのだが、個人の内部で完結させてるじゃん、それだと市場の外部性や世代間倫理の問題に答えられないのじゃない、個人は他人の状況を慮って超越的超歴史的な視点をとって規範や正義を構成できるよというもの。「超越的な視点」というのがアダム・スミスの「利害関係のない第三者」に似ている、300年かけて同じところにもどってきたなあという印象)、ドーキンスの利己的遺伝子など。あるいは人類の経済化された歴史を共同体から個人が、個人から国家が疎外されていくという議論も。よく勉強しているなあ、いろいろな人の考えを咀嚼して要領よくまとめているなあ、さすがに厚労省の官僚になるほどの人だなあ、と圧倒される。過去の仕事の成果であるのか、この国の社会保障だけでなく各国の政策もよく知っていて、この国の政治家やマスコミが社会保障の負担率や財源確保や弱者いじめの面ばかりをとりあげるよりははるかにパースペクティブの広い議論をしている。
 この小さい本に両方を書き込んだおかげで、圧縮しすぎたかな。原理の記述は年金に不安を持つような「庶民」からすると、高踏にすぎるかもしれない。著者の跡を継いでいる厚労省の官僚たちと制度を改革しようとする政治家や党担当者はこの程度の議論を知識を持って、われわれに提言してください。負担率が高くなるとか支給額が減るとか増税分を社会保障に回すとかいう話だけでは、納得と安心をもてないので。かわりにヴィジョンとモデルを提示してください。
 さて、最後のところで著者がいう共同体はネットワーキングされた個人の集まりだということがわかった。あいにくそのような共同体は自然発生的には生まれない(まあ、生活がとことん追いつめられると、ソヴェトのような組織が生まれるかもしれないが、政府と官僚はそのような組織は好まないでしょう)。とすると、個人をネットワーキングするにはコーディネーターがいる。それを育てることが必要ではないかな。たぶん「社会起業家」と呼ばれる人がそうだ。あいにく、2014年の自民党政府はそのような人材と組織育成には関心がなさそう。かわりに民間の社会保障の役割を家族に押し付けようとしている(それができない家族がたいはんだっていうのに)。