odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「ハイチムニー荘の醜聞」(ハヤカワ文庫) 1865年倫敦の幽霊屋敷。黒づくめの誰かが深夜に屋敷を徘徊している。

 時代は1865年。ディケンズやコリンズの同時代。この国に住むものでは、この年代は明治維新のころなので、時代小説や捕り物帳を読むようなものだが、イギリスではちょっとふるい現代小説という趣かな。テクノロジーはもちろんないに等しいにしても、社会の構造とか法制などはそれほどの違いはなさそうなのでね。もちろん、きわめて大きな社会格差、貧困の連鎖の問題はあったわけで、ディケンズの小説に登場するし、なにより劣悪な労働環境はマルクス資本論」で記述されているので、みてほしい。ちなみにあとがきで参考資料が紹介しているが、作者はコリンズを低評価。それに「月長石」のサマリーを記述したうえでネタバレと犯人あかしをしているので、「月長石」未読の人は注意してください。

 ハイチムニー荘はロンドン郊外にある館の名称。ここにはマシュー・デイマンという人嫌いの弁護士が住んでいる。息子一人に、娘二人を育て上げ、結婚話が持ち込まれるようになった。しかし父マシューはなかなか承諾しないので、息子ヴィクターから説得してほしいという依頼で作家クライブが訪問する。そこでマシューはこの家の恐ろしい因縁があることを打ち明ける。すなわち、十数年前、マシューが検事だったときに、死刑にした女がいる。執行されてから思い直すとどうも冤罪ではなかったのかという疑惑が生まれた。そこで、殺人犯の忘れ形見を子供に迎え入れたのだった。そのために友人との関係を切り、雇用人を馘首して、ハイチムニー荘に移ったのだ。そうすればうわさは立てられないと。
 クライブの訪問した夜、この館には幽霊が現れ、翌日の夜、上記の打ち明け話のさなか、クライブが名を訪ねた時に銃声が聞こえ、マシューが殺された。その直前には黒づくめで顔もわからぬ誰かが書斎を覗いている。そのようなことが可能な人物は館の中にはいなかった。
 容疑者として浮かんだのは、マシューの後妻ジョージェット。生まれは労働者層。貧しい暮らしで踊り子をしているのをマシューに見初められている。で、彼女は事件直後から館を出て、ロンドンのさまざまなストリートを歩き回り、パブや劇場に出入りし、不審な人物とこそこそとはなしあったりしている。そして誰もいないハイチムニー荘で絞殺されているのが見つかる。
 ガス灯もなければ電信もなく(企業や官庁はもっているだろうが個人宅には導入されていない)、馬車と鉄道がせいぜい。陽が落ちるとまっくらで、ロウソクかランプの明かりくらい。だから書斎の殺人で、犯人の情報を得ることができなかったし、そのあともてんやわんやで落ちついて犯人の遺留品を探すなどということもできない。なので、ホームズやソーンダイク博士のような科学捜査は登場しないで、言葉のはしばしに耳を澄まし、各人の行動を観察して、不自然を探すことになる。そこで登場するのが、実在の名刑事ジョナサン・ウィッチャー。実際の記録から風采や言動を記述したというけど、あまり面白みのない人物だったな。
 1959年の作。