ホテルの主要スタッフが呼び出され、警察が内密に潜入捜査をすることになった、ついては各部署に数名の警官が配置されるから、君たちはホテルマンとしての教育をするようにと命じられる。このとたんに、筒井康隆「富豪刑事」連作の「ホテルの富豪刑事」、都筑道夫のホテル・ディックシリーズ(とくに唯一の長編「探偵は眠らない」)、作家になるまえにホテルマンであった森村誠一の「超高層ホテル殺人事件」、カー「死者はよみがえる」、クリスティの「バートラムホテルにて」などを思い出した。なるほど、オフィシャルとプライベートがまじりあい、無関係の老若男女が行き来する、ほとんどは問題を起こさないが、なかには問題を抱えていて、爆発することもあるだろう。となると、ホテルという密閉空間はひとつの都市にもたとえられる。そこに来る人々は普段とは違った顔を持っていて本心は容易につかめない。というようなことをホテル・ディックシリーズの田辺素直がいっていたような気がする。タイトルの「マスカレード」は仮面をかぶるというような意味。この国のフィギュアスケート選手が一時期ハチャトリアンの「仮面舞踏会」をBGMに使っていたが、曲の英語タイトルは「Masquerade」。
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ホテルには多様な人物が毎日来ては帰る。ときには、理不尽な言い掛かりやクレームをつけられ、対応に苦慮する。そのとき、フロントに配置された刑事・新田はホテルのフロント・山岸と衝突する。まあ単純化すると、国家の権威を背後に持ち権力を使える警察は因縁をつけてくる輩には逆襲する道があるが、民間企業で風評を気にするホテルは問題を不可視にし顧客を満足することが優先される。当然、警察の正義とホテルの道徳は衝突する。それは、フロントに配備された新田と山岸が出会うホテルの事件であらわになる。ホテルの備品を盗み出そうとする宿泊客、視覚障碍者のふりをしてホテルのサービスを確かめる老婆、新田の顔に見覚えがあるのか理不尽な言い掛かりをつけいじめをする塾講師、この男は絶対に近づけるなといって宿泊する中年女性、結婚披露宴を襲撃すると予告するストーカーなどなど。彼らと応対するたびに、警察とホテルの代表はいさかいを起こす。ここらへんの大小様々な事件は、読者の想像にありそうな身近なできごとでクレーム対応のケーススタディとなるが、一方で本筋はなにかを隠すものであり、もちろん本星をとらえるための伏線を張るものである。注意深く読んでね。ベストセラーになる条件のひとつは長いことで、それはクリア。ただ、自分にはいささか冗長でした。
ホテルに常駐しないスタッフによって連続殺人事件の捜査が進み、だんだんとそのやり口がわかってくる。次第に網が狭まり、求める犯人は週末の結婚披露宴を襲撃する予告を出していたストーカーに絞られる。ホテルにいる捜査陣は決してホテルの外にでない。外部の情報は口頭で伝えられるだけ。舞台が狭く、外気と太陽がない。閉鎖空間に多数の人物が閉じ込められ、ストレスがたまり、不安が高じて、息苦しくなっている。それに、21世紀10年代の読者にとってはストーカーの危険さというのが共有されているから、彼らの緊張は共感できる。
「犯人はだれか」というのが主題にあるけど、自分には「被害者は誰か」の趣向が面白かった。なるほど、被害にあう人は心当たりはなかったけど、その理由は自分の口で語っていたのね。その隠し方がなかなか微妙な表現でよかったですよ。
そのようなミステリーの書き方に加え、ホテルマンの仕事ぶりやクレームの対処法なども興味深い。上記のホテルマンの登場する探偵小説でもホテルマンの仕事ぶりは詳細に記述されていて、作家はこの種の組織(分業化と専門化が徹底されていて、独立していながら統合されている)に興味をもつものらしい。仕事ぶりが詳しく書かれるという点では警察とホテルが双璧(それにくらべると大学教授や研究室の描写のおざなりなこと)。それに加えて、それぞれの仕事に誇りを持つプロフェッショナルの衝突というのも。頭がよく、機転が利き、観察力に優れた二人が洞察を披露する。名探偵はいないので、情報をもちよって討議を繰り返しながら、真相に到達する。これは組織による問題解決のやり方。読者には親しいはず。くわえて地味で凡庸そうな中年のおっさんが実はやり手でしかも多方面に顔が効き、若者を陰になって支援するというのも。若い読者には、このような仕事の環境は理想であるかもしれないね。
そのうえでラブロマンスもある。最初は嫌悪と対立、そして喧嘩、互いの無視、秘密を共有して仲が良くなり、相手を理解するようになり、それぞれのプライドを傷つけられて離反し、他人の妨害があって恋が成就するという物語もある。ミステリーより、こちらの物語にひきつけられる読者も多いだろう。
<追記 2014.10.28>
2014/10/16 東野圭吾「マスカレード・イブ」(集英社文庫)